スタッフのつぶやき
2025.02.18
すぎジイのつぶやき「柳に風」122
薪能は幽玄の極み
野外で薪を焚いて上演する能を薪能という。
これまでに何度か行ってきたが、一番大変なのは雨に泣かされた時である。能で使用する能面や能装束は、楽器と同様で雨に濡らすわけにはいかない。雨天の場合は、やむを得ず早めの判断をして、予め用意した別の会場に場所を移して行うわけだが、かつて、数年続いて雨に悩まされたことがあった。そうなると、つい一体誰が雨男なんだと皆が声を上げることになる。
順調に野外で上演された時も、室内の能楽堂と違い様々なトラブルに見舞われることがある、薪を焚く火の明かりだけでは少し暗いので、補強として照明機材も使って舞台を照らし出すわけだが、野外なので電源車を使って発電をしていたところ、上演の途中で電源が切れてしまい照明が落ちたことがあった。急に暗くなり照明業者は大慌てで電源確保に紛争したが、当のお客様は案外落ち着いたもので、薪の火だけになった方がより幽玄の雰囲気が出て、むしろ好評だった。なかには、本気で演出だと思われた人もあったくらいだ。いくら補助的とはいえ、やはり人工的な照明よりは揺れ動く自然の炎の方が雰囲気を盛り上げるのだ。
また、演者がつけていたピンマイクが動いているうちに装束に擦れて外れてしまったとか、虫が飛んでくるとか、蚊が演じる人の能面の中に入ってくるとか、野外ロックコンサートのように大音量になりすぎて雰囲気ぶち壊しとか、まあいろいろあるわけである。それでも薪能は自然に溶け込み本来の能の姿を浮き彫りにする素晴らしい企画である。
(すぎジイ)
2025.02.04
すぎジイのつぶやき「柳に風」121
アウトリーチは刺激がいっぱい
「アウトリーチ」という言葉がある。外へ腕を伸ばす、というような意味になるが、これは芸術文化の分野では例えばコンサートホールから演奏家が学校や福祉施設や医療機関など外に出かけて活動することを指す。ミニコンサートもあれば学生相手に楽器クリニックというレクチャーを行うこともある。豊田市コンサートホール・能楽堂では、もう10数年前からこのアウトリーチを行ってきた。特筆すべきは、コンサートホールや能楽堂に出演する一流の演奏家に、本番当日の前後日を活かして学校や各種施設に出向いてもらえるように交渉してきたことだ。プロが出向くことで普段コンサートを聴きに行くことができない人たちに一流の音楽を聴いてもらうことができる。
ある時、カナディアン・ブラスという金管アンサンブルが来日した。豊田市内のある中学校の吹奏楽部の放課後練習に出向いていただき、練習のクリニック、いわゆる指導と演奏をしてもらった。「目を閉じて周りの音を聴いてみて」「ここからここまでを楽譜通り歌ってみて」「歌うように吹いてみて」・・・。様々な表現で指導をしていただいた後に生徒たちが演奏してみたところ、それを聴いて驚いた。クリニックの前後で格段に音がよくなっているのだ。とても音楽的になったというか、ただ吹いていただけの演奏から生き生きとした躍動感や子どもたちの感動までも伝わってきた。これだからプロの指導は凄い。
また、ある時はブラジル・サンバ・カーニバルという歌と踊りと演奏の一座に市内の小学校に行っていただいたこともある。ダンサーが身体を動かしてダンスを披露するが、そのサンバのリズムの踊りが子どもたちに大受けし、何も指示しなくとも勝手に手足を動かしながらリズミカルに体が反応していた。子どもの感性たるや恐るべし。ただし、お尻フリフリのダンサーに顔を真っ赤にしていたのは男の子たちで、興奮していたのは男の先生たちである(笑)。
もちろん伝統芸能のジャンルでもアウトリーチはある。能楽師が学校に出向き、大きな声で発声する体験をさせたり、能面や装束を着ける体験をしてもらったりするのはとても喜ばれる。体育館に響き渡る大声、発声に子どもたちは驚き、集中力が高まる。和の世界観にいきなり引き込まれるのだ。広い体育館であっても能楽師の大きくゆっくりと遠くを見る動きや声は、人物を大きく映し出す。存在感が大きくなり、圧倒されるのだ。
アウトリーチは子どもにも大人にも刺激的なアプローチなのである。
(すぎジイ)
2025.01.28
すぎジイのつぶやき「柳に風」120
キャンプで五感が冴えわたる
2020年に起こった新型コロナウイルス感染症の世界的流行のため、世の中は密を避ける風潮が一気に広まった。そんな矢先、まさに密を遠ざけるキャンプ、しかも大型ファミリーキャンプではなく小規模なソロキャンプが大ブームになった。私も友人に倣い、細々と始めてみるうちに、すっかりその魅力にハマってしまった。自然の中で身を開放して焚き火をしたりハンモックに揺られたりすることのなんと気持ちのいいことよ。日常的には、休日に近所の河原に行き、焚き火を焚いてコーヒーを沸かしたり、茶道具を持ち出して野点をしたり、また簡単な食事を作ったりするだけだが、そのシンプルな行為のすべてが便利で快適な日常から抜け出して、不便で手間のかかる行為であるが故に、身体全体を使って隅々まで生き生きとしてくる。
また、年に数回は友人と一泊のキャンプに出かけることもある。20代の頃、アウトドア好きのある上司から「キャンプの一番の魅力は、喋らなくてもいいことだ」と教えてもらった。親しい仲間とワイワイ盛り上がるキャンプもいいが、目の前の自然と相対し、静かに黙々とやるべきことをやるのは気持ちがいいものだ。キャンプ場に着いたら、まず居場所を決め、テントを張って居住空間を作る。現地で薪を拾い薪を割り、小さな火を熾して、火を育てる。暖をとり、シンプルな焚き火料理で腹を満たす。夕闇からの残照に身を置き、酒を飲みながら、ゆっくりと火を眺める。言葉の要らぬひと時だ。静寂さの中に鹿の気配を感じ、ヘッドライトで辺りを照らし遠くに目を凝らすと、闇夜に目が合った。やがて夜も更けてテントの中へ。シュラフに入ってF.フォーサイスのミステリーや種田山頭火の俳句集を読むのは、無上の喜びだ。遠くに鹿の鳴き声。キャンプは五感が冴えわたる。
(すぎジイ)
2025.01.11
すぎジイのつぶやき「柳に風」119
落語を聴いて年を越せ
いつの頃からか年末には名古屋の「大名古屋らくご祭」を聴いて年を越すようになった。
いろいろあっても、やはり笑って年を越したいのが人間の性。まして古今東西の噺家が一堂に集まり、イキのいい若手の溌溂とした語りから熟練の名人芸まで、古典から新作を3時間たっぷりと楽しめるとあっては、これを聴き逃したくはない。妻と二人で軽食を済ませ、会場である名古屋市公会堂に向かう。公会堂の建物は今や歴史的建造物として趣があり、伝統芸能・大衆芸能を楽しむ場としては、むしろその古さと重厚な味わいによって、大いに気分が高まる。
今回もまた桂文枝、林家木久扇、桂米團治、柳亭市馬ほかベテランの名人芸に酔いしれた。個人的には聴き応えのある古典落語がベストだが、単なる漫談で終わることもある。その漫談がただならぬ味わいで、グイグイ引き込まれてしまい、文句なしに面白い。上手い文章とは、いかにも上手だと唸る文章ではなく、上手いことさえ忘れてしまう文章だと確か司馬遼太郎がどこかに書いていたような気がするが、まさに話が上手いことなど忘れて、ひたすら面白くて笑ってしまい、終わってしみじみ感心するのである。
そうして次々聴いているうちに、ふと気が付くことがある。「落語は人間の業の肯定」と言ったのは立川談志だが、名人によって様々な人間の典型が面白おかしく語られるのは、結局のところ人間の愚かさや悲しさ、そのどうしようもない業の深さを知ることであろう。今日も落語で笑ったなあ、という心の奥底には、ああ人間は業の深いものだなあと知るその悲しさが横たわっている。これを聴かずにはおれないのだろう。
(すぎジイ)
2024.12.20
すぎジイのつぶやき「柳に風」118
同じ釜の飯
もう今ではすっかり言われなくなってしまった言葉「同じ釜の飯」は、大好きな言葉だ。若い頃に寝食を共にしながら何かに夢中になって取り組んだ仲間のことを言うが、その本当の良さを知ったのは年をとってからである。
昨年、大学時代のサークル男声合唱団の仲間による還暦同期会を大学のある京都で行った。初日はキャンパスに集まり、かつての練習会場で即席アンサンブルにチャレンジ。40年の隔たりは大きく発声も音程もままならないが、練習しているうちに調子が出てくる。やはり、20歳前後に叩き込んだものは身体に染み込んおり、容易には忘れないものなのだろうか。
あの当時は、ただ歌っていただけではない。大半が全国から集まった下宿生なので、一緒に飯を食いながら、また誰かの部屋に集まり安酒を酌み交わしながら隣人の迷惑も顧みず大きな声で歌ったり、合唱音楽の芸術論やサークルの運営や活動について激論を戦わせたりしたものだ。文字通り同じ釜の飯を食った仲間たちである。そこには、自分の声ではなく周りの音(人)だけが頼りだという聞き合う世界があった。真理である。
その同期の仲間が、還暦を迎えるまでに二人逝ってしまった。共に個性の強い憎めない男だった。その訃報に接した時、後輩がかけてくれた言葉が身に染みた。仲間がいなくなるということは、「あの時のハーモニーはもう二度と流れないのですね。声を合わせた方がお亡くなりになるのは、まさに我が身を削られる思いです。」と。ハーモニーというものは、音符の数学的には成立するものだが、人の声として厳密に捉えれば一人欠ければ二つとして同じハーモニーは存在しないのである。二度と同じハーモニーはできないが、できればひと味違うハーモニーを一緒に奏でてみたかった。
同期会の翌日はOB会主催のチャリティーコンサートを聴き、懐かしい先輩後輩と旧交を温め京都を後にして帰路に着いた。時を隔てて懐かしさが増す僕らの京都は、やっぱりあの夢中になって取り組んだ歌と同じ釜の飯を食った仲間とともにある。
(すぎジイ)
2024.12.05
すぎジイのつぶやき「柳に風」117
アンコール裏話
コンサートが終わると拍手が起こり、普通はアンコール曲が演奏される。そのアンコールに何を演奏するかということは大抵の場合事前に決めてあり、予定通り演奏されるわけだが、時によっては予定が大きく狂うこともある。
かつて、北欧のスウェーデン放送合唱団が清冽な素晴らしいハーモニーを聴かせてくれた時だ。アンコール曲を予め2曲用意していたそうだが、ホールの響きがよく、聴衆の反応もよく、歌っていてあまりにも気持ちがよかったため、さらに予定外にもう1曲演奏した。演奏を終えて団員がステージから退場しかけたにもかかわらず、指揮者が興奮しながら「もう1回出ろ、出ろ!」と腕を振って大声で叫びつつ大興奮の中もう1曲演奏し、それでも収まらずにとどめにもう1曲歌ったということがあった。
また、東日本大震災の翌日に行ったコンサートでは、日本人で英国在住のヴァイオリニスト、アヤコ・ヨシダ・アルヴァニスさんが予定していたアンコール曲を急遽変更して、バッハの「G線上のアリア」を演奏し被災地への哀悼を捧げられたこともあった。感極まる瞬間だった。
その他にも、アンコールにまつわる話は枚挙に暇がないが、極めつけは米国のニューオリンズ・ジャズ楽団のコンサートを豊田で開催した時のことだろう。この楽団を現地から直接招聘していたのは、浅草おかみさん会という商店街の組織で、毎年夏の浅草のジャズ・フェスティバルのために米国から招聘している企画に便乗して豊田市でも開催させていただいた。さてアンコールになると、なんとその浅草おかみさん会の名物会長がいきなりステージ上に上がり、客席のお客様に向かって皆ステージに上がれ上がれの大きな手招きをしたのだ。これには驚いてスタッフが慌てているうちに、大勢のお客様がどんどんステージに上がってステージいっぱいになり、楽団のメンバーたちと一緒に踊ってアンコール曲を盛り上げたというとんでもない光景を思い出す。
別の個所でも書いたが、ピアノの巨匠アルド・チッコリーニがアンコールで心に染みわたる可憐な「愛のあいさつ」を弾いた時、客席の夫婦やカップルが肩を寄せ合ったり手をつないだりした奇跡の瞬間は、豊田市コンサートホールでは有名な話である。
最近では、SNSの普及により、アンコールに限り本番の写真撮影OKというコンサートも出てきた。撮影してどんどん拡散してほしいというわけだろう。世の中ずいぶん変わったものだ。
アンコールとは何が起こるかわからない、素敵な瞬間なのである。
(すぎジイ)
2024.11.23
すぎジイのつぶやき「柳に風」116
海外オーケストラの個性と響き
豊田市コンサートホールは、開館当初から世界の一流オーケストラのコンサートを定期的に上演してきた。ウィーン・フィルをはじめとしてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ロンドン交響楽団、バイエルン放送交響楽団、デトロイト交響楽団、マリインスキー歌劇場管弦楽団、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団、フィンランド放送交響楽団・・・書き切れないほどである。
そしてプログラムは、できるだけ本領発揮というか本家本物というか、そのオケの持ち味が十分に楽しめる曲目をお願いしてきた。例えば、ベルリン放送交響楽団であればベートーヴェンやブラームスの交響曲、フィンランド放送交響楽団であればシベリウス、モスクワ放送交響楽団ならチャイコフスキーやショスタコーヴィチなど土着の作曲家の音楽は間違いなく醍醐味が聴ける。けして保守的というわけではなく、貴重な機会に本物を聴いていただくためには王道がベストだと思っている。もっとも最初からオーケストラがチャレンジングなプログラムを用意している場合は別だ。
当然、曲によってはオーケストラのサイズが巨大になるものもある。マーラーやブルックナー、リヒャルト・シュトラウスなどの交響曲はステージに溢れんばかりの人数の楽団員が乗り、特に金管楽器の奏者が通常より多い曲の場合は音が響きすぎるので、舞台奥の反響板の扉を開けて吸音壁へと変身させることもある。1004席の豊田市コンサートホールの規模と音響を最も効果的に活かせるのは、チェンバーオーケストラ(室内オーケストラ)といわれる20~40人くらいの規模の楽団である。例えば、名匠パーヴォ・ヤルヴィ指揮のドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団などは、その演奏、特に響きと表現力においてホールの大きさを活かしきっており、いつも見事な演奏を聴かせてくれる。ある時、指揮者パーヴォは日本ツアーの中で当館のみアンコール曲を変えた。響きの特性を活かしながら、唯一お気に入りのシベリウス「悲しきワルツ」を演奏したのである。その後、日本ツアーの間じゅう「豊田のホールは響きが素晴らしかった」と別会場でも話題にしてくれていたという。お世辞だとしても、嬉しいことだ。
同じ曲を演奏するにしても、国柄、伝統、指揮者などによって実に多彩な個性と響きを持ち、楽しませてくれるのが海外オーケストラなのである。
(すぎジイ)
2024.11.06
すぎジイのつぶやき「柳に風」115
殿様商売に未来はない
これは、闇に葬られた、ある求人広告のキャッチコピー案である。
かつてリクルートで仕事をしていた時、外車ディーラー某社の常務取締役から求人広告出稿の依頼を受けた。さっそく話を伺うと、販売業績が低迷し、このままでは会社の経営が危ぶまれるので、なんとか現状を打破するために、突破できるマネージャークラスの有能な人材を外部から中途採用したいという相談であった。それ相応の採用をするためには、かなり思い切った表現の求人広告を出す必要がある。そこで提案したのが表題のキャッチコピーだ。
外車だからと言ってこれまでのような上から目線で待ちの殿様商売をしていたらうちの会社は未来がない、という厳しい現状をあえて正直に見せ、誰かこの現状を打ち破ってやろうという高い意欲と経験豊富な人材に来てほしいという率直なメッセージを提案したつもりであった。
ところが、いざ広告案を持参してプレゼンテーションをすると、常務取締役の逆鱗に触れてしまい、顔を真っ赤にして「我社を馬鹿にしているのか! お前たち出入り禁止にするぞ!」と、大変な剣幕でやり直しを命ぜられた。理由は明白だ。あまりにもストレートに自社の問題点、痛いところを突かれたからであろう。この案に自信をもっていただけに内心私はやる気をなくし、やむを得ず無難なキャッチコピーに変更して再度プレゼンをして出稿にこぎつけた。あまりに無難なキャッチにしたので、その内容はもう忘れてしまったが、結果は明らかで当然期待するだけの人材は集まらなかった。
この時学んだことは、やはり人の心に響くキャッチコピーというものは、本音を語らなければ、最も届けたいメインターゲットには届かないということだ。そもそもキャッチコピーとは商品や作品の宣伝のためのうたい文句となる文章のことだが、一番のポイントはターゲットセグメンテーションと言われ、そのメッセージを届けたいメインターゲットになる人たちが誰なのかという絞り込みと、その人たちの心を動かす動機となる事や言葉が何なのかということを考え抜くことに尽きる。つまり、そのためには広告を依頼された根本原因を究明することとその解決策を言葉で探り当てることが大切なのだ。
リクルート在籍中にあるコピーライターから、「キャッチワーク」と称して、一つの課題・テーマについてキャッチコピーを100本書き出すという、つまり野球の100本ノックと同じトレーニングを教えてもらったことがある。ネタが完全に尽きるまで、徹底的に絞り出していく過程で最もシンプルで明快な表現にたどり着いていく。キャッチコピーを考えることは本質を見抜くことなのである。
(すぎジイ)
2024.10.18
すぎジイのつぶやき「柳に風」114
巴御前がやりてえなあ
能楽堂の企画を担当していた頃の話。通常は、企画会議で出演してもらう能楽師を決め、その人に演じてもらいたい候補曲を挙げて出演交渉することが多いが、時として演じる側のリクエストを伺ったうえでお願いすることもある。さて、そのような時に演者側からはいったいどんな曲がリクエストの上位に来るのか。
実際に私が出演交渉を行っていた時、人間国宝だった宝生流の三川泉師に思い切ってお尋ねしたことがある。三川師は流暢なべらんめえ調で「そうだなあ、「巴御前」なんてやりてえなあ。ありゃあ実に面白い能なんだよ」とズバリ即答された。また同じく、別の機会に喜多流の家元だった喜多六平太師に訊くと、「できれば「巴」がやりたいな。あれは実にいい能だ」とこちらも迷わず答えられた。驚くことに名人と言われる人たちがやりたい曲に挙げたのが共通して能「巴」だった。
ご存じ「巴」とは平家物語に登場する人物で、木曽義仲を愛し、その忠臣として戦場を駆け巡った女武者・巴御前を主人公にした能である。女性を主人公にした唯一の修羅能であり、勇敢さの裏にある女性の主君に対する一途な想いと深い哀しみを描いた人気曲である。
男の役者が女性に扮し、その女性が男への想いを表現するという役どころの複雑さが、名人には何とも言えない面白さ故にやりがいがあるのだろう。三川師・喜多師のいずれも素晴らしい名演で、端正な表層から滲み出るような艶やかな舞台であった。80歳を越えてなお魅了される能「巴」。再びあのような名演に出会いたいものである。
(すぎジイ)
2024.10.10
すぎジイのつぶやき「柳に風」113
ラジオ少年のラジオ出演
先日、東京のラジオ番組に生出演した。
東京都狛江市のラジオ局FM狛江の「日本の文化のそのあした」という、金春流の能楽師中村昌弘さんがパーソナリティーをされている1時間のトーク番組だ。近々中村さんに豊田市能楽堂の講座に出演していただくので、能楽堂のPRを兼ねてゲストに招かれたのである。1時間のうち40分ほど一緒に話をしなければならない。といっても現代はリモートによる出演が可能なので、自分は自宅に居ながらにしてお茶を飲みながらのオンエアーとなった。内容は、豊田市能楽堂のこと、アクセスや沿革、特徴、続いてパーソナルな話題として能楽堂の職員に就任した経緯や自分と能楽とのかかわり、館長時代の仕事内容からこれまで行ってきた企画や公演の思い出など実に多岐にわたっていた。
パーソナリティーとのトーク番組なので、途中脱線もあり横道に逸れることも多く、思うようにはいかない。それでも相手がいるということは、一方通行ではないので会話を楽しみながらというリラックスした雰囲気で話ができる。途中、ゲスト出演した自分のリクエスト曲も流してくれた。曲はギタリスト村治佳織さんのレパートリーからイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の“愛のテーマ”だ。もちろんこれは大好きな映画であり音楽なのだが、イタリア映画は能に似ているという話題につなげようと考えたのが、リクエストした本当の理由である。人間の悲しみや苦悩、切なさを描き、ハッピーエンドではなく常に深い問いを残してエンディングを迎える。決して答えを導くのでもなくスカッと解決して終わるのでもない。このなんとなくモヤモヤとあるいはズッシリと考えさせられるところが能に似ているのだ。だから素晴らしいのだけれど。と、そんな話もしつつ、1時間はあっという間であった。
考えてみれば、僕たちの世代は子どもの頃にラジオ少年だった人が多いと思う。深夜放送華やかりし時代で、よく勉強するふりをしてラジオから流れるパーソナリティーの声や音楽に聴き入ったものだ。布団に潜って深夜放送を聴いていると、暗闇の孤独感と広大な世界観が入り交じり、独特の快感を覚えた記憶は誰にでもあるだろう。よって、不思議とラジオにはテレビよりも身近な友だちのような存在感を感じるのである。
ラジオ出演のおかげで、ラジオ少年だったあの懐かしい日々までも思い出すことができた。やっぱりラジオは楽しい。
(すぎジイのつぶやき)
2024.09.18
すぎジイのつぶやき「柳に風」112
出張は刺激的
若い頃、公演・講座の企画のためによく出張に行った。特に能楽堂の企画に関連する出張が多かったように思う。
「能狂言を楽しむための講座」では毎回ユニークなテーマを取り上げ、アドバイザーと一緒に企画の取材と称して全国あちこちに赴いた。例えば、「剣と能」というテーマでは、奈良市の東北部にある、柳生新陰流で知られた剣豪の里を訪ねた。旧柳生藩家老屋敷や柳生正木坂剣禅道場、新陰流の開祖・柳生石舟斎が切ったと伝わる「一刀岩」など、柳生ゆかりの歴史スポットが点在している場所だ。講座でスクリーンに映し出すために写真を撮り、関係者に話を聞く。
奈良の吉野や熊野にも行った。本当は桜満開の時季がよいのだろうが、人が多くなりすぎるので秋頃に行ったような気がする。能には吉野・熊野、葛城山あたり一帯が舞台となる曲も多く、それらの能の背景を取り上げるにあたり、現地の風景をたくさんカメラに収めてきて紹介した。
また、毎年京都の壬生寺で行われている壬生狂言(正しくは「壬生大念仏狂言」)を取材したこともある。言ってみれば、台詞のないユーモラスな仏教無言劇で700年以上続いているものだ。2月の節分の頃、雪がちらつくような底冷えのする日で、鑑賞と取材の後は凍えた身体で大急ぎで高瀬川沿いの小料理屋に入り、燗酒で身体を温めたものだ。
伊勢神宮にも行った。伊勢街道や鈴鹿峠に関連する能もあるため、ご当地の能楽師に案内してもらい、その縁の地を撮影しつつ、背後にある歴史や伝承、風俗などを探訪した。
やはりどんな企画も現地に赴くことにより、その土地の空気を感じることで内容に一層リアリティと深みが出てくるものである。自分の足で取材をすることは非常に大切だということをアドバイザーから学んだ。
(すぎジイ)
2024.09.05
すぎジイのつぶやき「柳に風」111
お母さんが能面をつけると
夏の恒例と言えば、「夏休み、親子で楽しむわくわく能楽体験」というイベントだ。能狂言を鑑賞するだけでなく、能面をつけて舞台の上を歩いてみたり、楽器を触って音を鳴らしてみたり、狂言のコーナーで大きな声を出したり、いろいろな体験を通して能楽堂を一日楽しめる企画になっている。
中でも、能面をつけて舞台を歩くコーナーは人気だ。体験用に用意する面は小面(こおもて)という若く初々しい女性の面と般若(はんにゃ)という女性の嫉妬と恨みを表現した怨霊の面で、この般若の面をお母さんがつけた時の子どもの反応がとにかく面白い。こんな調子の親子の会話が聞こえてくる。
【A】
母「リョウくん、ママこれどう?」
息子「う〜ん、いつもと一緒。変わんない。」
母「はあ〜?」
【B】
母「カズくん、ママこれ似合う?」
息子「似合う似合う、似合いすぎ〜」
母「・・・どういうこと?」
【C】
母「ユウくん、ママこれどんな感じ?」
息子「昨日の夜のママの顔~」
母「ちょっと!!」
すぐ横で写真を撮ってるお父さんは、よくぞ言った⁈とばかりニヤニヤ・・・。
子どもはオブラートに包まず正直なので面白く、微笑ましい家族の雰囲気が伝わってくる。実際には、般若の面は激しい怒りを表しながら、角度を変えると悲しい表情に見える。本質的に、怒りと悲しみの二面性を巧みに表現した能面なのであり、そこには気品と美しさがなければならない。よくよく見れば、能面をつけた方が素顔よりも表情豊かに感じられるのは不思議である。
(すぎジイ)