スタッフのつぶやき
2024.12.20
すぎジイのつぶやき「柳に風」119
アウトリーチは刺激がいっぱい
「アウトリーチ」という言葉がある。外へ腕を伸ばす、というような意味になるが、これは芸術文化の分野では例えばコンサートホールから演奏家が学校や福祉施設や医療機関など外に出かけて活動することを指す。ミニコンサートもあれば学生相手に楽器クリニックというレクチャーを行うこともある。豊田市コンサートホール・能楽堂では、もう10数年前からこのアウトリーチを行ってきた。特筆すべきは、コンサートホールや能楽堂に出演する一流の演奏家に、本番当日の前後日を活かして学校や各種施設に出向いてもらえるように交渉してきたことだ。プロが出向くことで普段コンサートを聴きに行くことができない人たちに一流の音楽を聴いてもらうことができる。
ある時、カナディアン・ブラスという金管アンサンブルが来日した。豊田市内のある中学校の吹奏楽部の放課後練習に出向いていただき、練習のクリニック、いわゆる指導と演奏をしてもらった。「目を閉じて周りの音を聴いてみて」「ここからここまでを楽譜通り歌ってみて」「歌うように吹いてみて」・・・。様々な表現で指導をしていただいた後に生徒たちが演奏してみたところ、それを聴いて驚いた。クリニックの前後で格段に音がよくなっているのだ。とても音楽的になったというか、ただ吹いていただけの演奏から生き生きとした躍動感や子どもたちの感動までも伝わってきた。これだからプロの指導は凄い。
また、ある時はブラジル・サンバ・カーニバルという歌と踊りと演奏の一座に市内の小学校に行っていただいたこともある。ダンサーが身体を動かしてダンスを披露するが、そのサンバのリズムの踊りが子どもたちに大受けし、何も指示しなくとも勝手に手足を動かしながらリズミカルに体が反応していた。子どもの感性たるや恐るべし。ただし、お尻フリフリのダンサーに顔を真っ赤にしていたのは男の子たちで、興奮していたのは、男の先生たちである。(笑)。
能楽師が大きな声で発声する体験をさせたり、能面や装束を着ける体験をしてもらったりするのも喜ばれる。体育館に響き渡る大声、発声に子どもたちは驚き、集中力が高まる。和の世界観にいきなり引き込まれるのだ。広い体育館であっても能楽師の大きくゆっくりと遠くを見る動きや声は、人物を大きく映し出す。存在感が大きくなり、圧倒されるのだ。
アウトリーチは子どもにも大人にも刺激的なアプローチなのである。
(すぎジイ)
2024.12.05
すぎジイのつぶやき「柳に風」117
アンコール裏話
コンサートが終わると拍手が起こり、普通はアンコール曲が演奏される。そのアンコールに何を演奏するかということは大抵の場合事前に決めてあり、予定通り演奏されるわけだが、時によっては予定が大きく狂うこともある。
かつて、北欧のスウェーデン放送合唱団が清冽な素晴らしいハーモニーを聴かせてくれた時だ。アンコール曲を予め2曲用意していたそうだが、ホールの響きがよく、聴衆の反応もよく、歌っていてあまりにも気持ちがよかったため、さらに予定外にもう1曲演奏した。演奏を終えて団員がステージから退場しかけたにもかかわらず、指揮者が興奮しながら「もう1回出ろ、出ろ!」と腕を振って大声で叫びつつ大興奮の中もう1曲演奏し、それでも収まらずにとどめにもう1曲歌ったということがあった。
また、東日本大震災の翌日に行ったコンサートでは、日本人で英国在住のヴァイオリニスト、アヤコ・ヨシダ・アルヴァニスさんが予定していたアンコール曲を急遽変更して、バッハの「G線上のアリア」を演奏し被災地への哀悼を捧げられたこともあった。感極まる瞬間だった。
その他にも、アンコールにまつわる話は枚挙に暇がないが、極めつけは米国のニューオリンズ・ジャズ楽団のコンサートを豊田で開催した時のことだろう。この楽団を現地から直接招聘していたのは、浅草おかみさん会という商店街の組織で、毎年夏の浅草のジャズ・フェスティバルのために米国から招聘している企画に便乗して豊田市でも開催させていただいた。さてアンコールになると、なんとその浅草おかみさん会の名物会長がいきなりステージ上に上がり、客席のお客様に向かって皆ステージに上がれ上がれの大きな手招きをしたのだ。これには驚いてスタッフが慌てているうちに、大勢のお客様がどんどんステージに上がってステージいっぱいになり、楽団のメンバーたちと一緒に踊ってアンコール曲を盛り上げたというとんでもない光景を思い出す。
別の個所でも書いたが、ピアノの巨匠アルド・チッコリーニがアンコールで心に染みわたる可憐な「愛のあいさつ」を弾いた時、客席の夫婦やカップルが肩を寄せ合ったり手をつないだりした奇跡の瞬間は、豊田市コンサートホールでは有名な話である。
最近では、SNSの普及により、アンコールに限り本番の写真撮影OKというコンサートも出てきた。撮影してどんどん拡散してほしいというわけだろう。世の中ずいぶん変わったものだ。
アンコールとは何が起こるかわからない、素敵な瞬間なのである。
(すぎジイ)
2024.11.23
すぎジイのつぶやき「柳に風」116
海外オーケストラの個性と響き
豊田市コンサートホールは、開館当初から世界の一流オーケストラのコンサートを定期的に上演してきた。ウィーン・フィルをはじめとしてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ロンドン交響楽団、バイエルン放送交響楽団、デトロイト交響楽団、マリインスキー歌劇場管弦楽団、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団、フィンランド放送交響楽団・・・書き切れないほどである。
そしてプログラムは、できるだけ本領発揮というか本家本物というか、そのオケの持ち味が十分に楽しめる曲目をお願いしてきた。例えば、ベルリン放送交響楽団であればベートーヴェンやブラームスの交響曲、フィンランド放送交響楽団であればシベリウス、モスクワ放送交響楽団ならチャイコフスキーやショスタコーヴィチなど土着の作曲家の音楽は間違いなく醍醐味が聴ける。けして保守的というわけではなく、貴重な機会に本物を聴いていただくためには王道がベストだと思っている。もっとも最初からオーケストラがチャレンジングなプログラムを用意している場合は別だ。
当然、曲によってはオーケストラのサイズが巨大になるものもある。マーラーやブルックナー、リヒャルト・シュトラウスなどの交響曲はステージに溢れんばかりの人数の楽団員が乗り、特に金管楽器の奏者が通常より多い曲の場合は音が響きすぎるので、舞台奥の反響板の扉を開けて吸音壁へと変身させることもある。1004席の豊田市コンサートホールの規模と音響を最も効果的に活かせるのは、チェンバーオーケストラ(室内オーケストラ)といわれる20~40人くらいの規模の楽団である。例えば、名匠パーヴォ・ヤルヴィ指揮のドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団などは、その演奏、特に響きと表現力においてホールの大きさを活かしきっており、いつも見事な演奏を聴かせてくれる。ある時、指揮者パーヴォは日本ツアーの中で当館のみアンコール曲を変えた。響きの特性を活かしながら、唯一お気に入りのシベリウス「悲しきワルツ」を演奏したのである。その後、日本ツアーの間じゅう「豊田のホールは響きが素晴らしかった」と別会場でも話題にしてくれていたという。お世辞だとしても、嬉しいことだ。
同じ曲を演奏するにしても、国柄、伝統、指揮者などによって実に多彩な個性と響きを持ち、楽しませてくれるのが海外オーケストラなのである。
(すぎジイ)
2024.11.06
すぎジイのつぶやき「柳に風」115
殿様商売に未来はない
これは、闇に葬られた、ある求人広告のキャッチコピー案である。
かつてリクルートで仕事をしていた時、外車ディーラー某社の常務取締役から求人広告出稿の依頼を受けた。さっそく話を伺うと、販売業績が低迷し、このままでは会社の経営が危ぶまれるので、なんとか現状を打破するために、突破できるマネージャークラスの有能な人材を外部から中途採用したいという相談であった。それ相応の採用をするためには、かなり思い切った表現の求人広告を出す必要がある。そこで提案したのが表題のキャッチコピーだ。
外車だからと言ってこれまでのような上から目線で待ちの殿様商売をしていたらうちの会社は未来がない、という厳しい現状をあえて正直に見せ、誰かこの現状を打ち破ってやろうという高い意欲と経験豊富な人材に来てほしいという率直なメッセージを提案したつもりであった。
ところが、いざ広告案を持参してプレゼンテーションをすると、常務取締役の逆鱗に触れてしまい、顔を真っ赤にして「我社を馬鹿にしているのか! お前たち出入り禁止にするぞ!」と、大変な剣幕でやり直しを命ぜられた。理由は明白だ。あまりにもストレートに自社の問題点、痛いところを突かれたからであろう。この案に自信をもっていただけに内心私はやる気をなくし、やむを得ず無難なキャッチコピーに変更して再度プレゼンをして出稿にこぎつけた。あまりに無難なキャッチにしたので、その内容はもう忘れてしまったが、結果は明らかで当然期待するだけの人材は集まらなかった。
この時学んだことは、やはり人の心に響くキャッチコピーというものは、本音を語らなければ、最も届けたいメインターゲットには届かないということだ。そもそもキャッチコピーとは商品や作品の宣伝のためのうたい文句となる文章のことだが、一番のポイントはターゲットセグメンテーションと言われ、そのメッセージを届けたいメインターゲットになる人たちが誰なのかという絞り込みと、その人たちの心を動かす動機となる事や言葉が何なのかということを考え抜くことに尽きる。つまり、そのためには広告を依頼された根本原因を究明することとその解決策を言葉で探り当てることが大切なのだ。
リクルート在籍中にあるコピーライターから、「キャッチワーク」と称して、一つの課題・テーマについてキャッチコピーを100本書き出すという、つまり野球の100本ノックと同じトレーニングを教えてもらったことがある。ネタが完全に尽きるまで、徹底的に絞り出していく過程で最もシンプルで明快な表現にたどり着いていく。キャッチコピーを考えることは本質を見抜くことなのである。
(すぎジイ)
2024.10.18
すぎジイのつぶやき「柳に風」114
巴御前がやりてえなあ
能楽堂の企画を担当していた頃の話。通常は、企画会議で出演してもらう能楽師を決め、その人に演じてもらいたい候補曲を挙げて出演交渉することが多いが、時として演じる側のリクエストを伺ったうえでお願いすることもある。さて、そのような時に演者側からはいったいどんな曲がリクエストの上位に来るのか。
実際に私が出演交渉を行っていた時、人間国宝だった宝生流の三川泉師に思い切ってお尋ねしたことがある。三川師は流暢なべらんめえ調で「そうだなあ、「巴御前」なんてやりてえなあ。ありゃあ実に面白い能なんだよ」とズバリ即答された。また同じく、別の機会に喜多流の家元だった喜多六平太師に訊くと、「できれば「巴」がやりたいな。あれは実にいい能だ」とこちらも迷わず答えられた。驚くことに名人と言われる人たちがやりたい曲に挙げたのが共通して能「巴」だった。
ご存じ「巴」とは平家物語に登場する人物で、木曽義仲を愛し、その忠臣として戦場を駆け巡った女武者・巴御前を主人公にした能である。女性を主人公にした唯一の修羅能であり、勇敢さの裏にある女性の主君に対する一途な想いと深い哀しみを描いた人気曲である。
男の役者が女性に扮し、その女性が男への想いを表現するという役どころの複雑さが、名人には何とも言えない面白さ故にやりがいがあるのだろう。三川師・喜多師のいずれも素晴らしい名演で、端正な表層から滲み出るような艶やかな舞台であった。80歳を越えてなお魅了される能「巴」。再びあのような名演に出会いたいものである。
(すぎジイ)
2024.10.10
すぎジイのつぶやき「柳に風」113
ラジオ少年のラジオ出演
先日、東京のラジオ番組に生出演した。
東京都狛江市のラジオ局FM狛江の「日本の文化のそのあした」という、金春流の能楽師中村昌弘さんがパーソナリティーをされている1時間のトーク番組だ。近々中村さんに豊田市能楽堂の講座に出演していただくので、能楽堂のPRを兼ねてゲストに招かれたのである。1時間のうち40分ほど一緒に話をしなければならない。といっても現代はリモートによる出演が可能なので、自分は自宅に居ながらにしてお茶を飲みながらのオンエアーとなった。内容は、豊田市能楽堂のこと、アクセスや沿革、特徴、続いてパーソナルな話題として能楽堂の職員に就任した経緯や自分と能楽とのかかわり、館長時代の仕事内容からこれまで行ってきた企画や公演の思い出など実に多岐にわたっていた。
パーソナリティーとのトーク番組なので、途中脱線もあり横道に逸れることも多く、思うようにはいかない。それでも相手がいるということは、一方通行ではないので会話を楽しみながらというリラックスした雰囲気で話ができる。途中、ゲスト出演した自分のリクエスト曲も流してくれた。曲はギタリスト村治佳織さんのレパートリーからイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の“愛のテーマ”だ。もちろんこれは大好きな映画であり音楽なのだが、イタリア映画は能に似ているという話題につなげようと考えたのが、リクエストした本当の理由である。人間の悲しみや苦悩、切なさを描き、ハッピーエンドではなく常に深い問いを残してエンディングを迎える。決して答えを導くのでもなくスカッと解決して終わるのでもない。このなんとなくモヤモヤとあるいはズッシリと考えさせられるところが能に似ているのだ。だから素晴らしいのだけれど。と、そんな話もしつつ、1時間はあっという間であった。
考えてみれば、僕たちの世代は子どもの頃にラジオ少年だった人が多いと思う。深夜放送華やかりし時代で、よく勉強するふりをしてラジオから流れるパーソナリティーの声や音楽に聴き入ったものだ。布団に潜って深夜放送を聴いていると、暗闇の孤独感と広大な世界観が入り交じり、独特の快感を覚えた記憶は誰にでもあるだろう。よって、不思議とラジオにはテレビよりも身近な友だちのような存在感を感じるのである。
ラジオ出演のおかげで、ラジオ少年だったあの懐かしい日々までも思い出すことができた。やっぱりラジオは楽しい。
(すぎジイのつぶやき)
2024.09.18
すぎジイのつぶやき「柳に風」112
出張は刺激的
若い頃、公演・講座の企画のためによく出張に行った。特に能楽堂の企画に関連する出張が多かったように思う。
「能狂言を楽しむための講座」では毎回ユニークなテーマを取り上げ、アドバイザーと一緒に企画の取材と称して全国あちこちに赴いた。例えば、「剣と能」というテーマでは、奈良市の東北部にある、柳生新陰流で知られた剣豪の里を訪ねた。旧柳生藩家老屋敷や柳生正木坂剣禅道場、新陰流の開祖・柳生石舟斎が切ったと伝わる「一刀岩」など、柳生ゆかりの歴史スポットが点在している場所だ。講座でスクリーンに映し出すために写真を撮り、関係者に話を聞く。
奈良の吉野や熊野にも行った。本当は桜満開の時季がよいのだろうが、人が多くなりすぎるので秋頃に行ったような気がする。能には吉野・熊野、葛城山あたり一帯が舞台となる曲も多く、それらの能の背景を取り上げるにあたり、現地の風景をたくさんカメラに収めてきて紹介した。
また、毎年京都の壬生寺で行われている壬生狂言(正しくは「壬生大念仏狂言」)を取材したこともある。言ってみれば、台詞のないユーモラスな仏教無言劇で700年以上続いているものだ。2月の節分の頃、雪がちらつくような底冷えのする日で、鑑賞と取材の後は凍えた身体で大急ぎで高瀬川沿いの小料理屋に入り、燗酒で身体を温めたものだ。
伊勢神宮にも行った。伊勢街道や鈴鹿峠に関連する能もあるため、ご当地の能楽師に案内してもらい、その縁の地を撮影しつつ、背後にある歴史や伝承、風俗などを探訪した。
やはりどんな企画も現地に赴くことにより、その土地の空気を感じることで内容に一層リアリティと深みが出てくるものである。自分の足で取材をすることは非常に大切だということをアドバイザーから学んだ。
(すぎジイ)
2024.09.05
すぎジイのつぶやき「柳に風」111
お母さんが能面をつけると
夏の恒例と言えば、「夏休み、親子で楽しむわくわく能楽体験」というイベントだ。能狂言を鑑賞するだけでなく、能面をつけて舞台の上を歩いてみたり、楽器を触って音を鳴らしてみたり、狂言のコーナーで大きな声を出したり、いろいろな体験を通して能楽堂を一日楽しめる企画になっている。
中でも、能面をつけて舞台を歩くコーナーは人気だ。体験用に用意する面は小面(こおもて)という若く初々しい女性の面と般若(はんにゃ)という女性の嫉妬と恨みを表現した怨霊の面で、この般若の面をお母さんがつけた時の子どもの反応がとにかく面白い。こんな調子の親子の会話が聞こえてくる。
【A】
母「リョウくん、ママこれどう?」
息子「う〜ん、いつもと一緒。変わんない。」
母「はあ〜?」
【B】
母「カズくん、ママこれ似合う?」
息子「似合う似合う、似合いすぎ〜」
母「・・・どういうこと?」
【C】
母「ユウくん、ママこれどんな感じ?」
息子「昨日の夜のママの顔~」
母「ちょっと!!」
すぐ横で写真を撮ってるお父さんは、よくぞ言った⁈とばかりニヤニヤ・・・。
子どもはオブラートに包まず正直なので面白く、微笑ましい家族の雰囲気が伝わってくる。実際には、般若の面は激しい怒りを表しながら、角度を変えると悲しい表情に見える。本質的に、怒りと悲しみの二面性を巧みに表現した能面なのであり、そこには気品と美しさがなければならない。よくよく見れば、能面をつけた方が素顔よりも表情豊かに感じられるのは不思議である。
(すぎジイ)
2024.08.27
すぎジイのつぶやき「柳に風」110
映画「猿の惑星」
― なぜ人間が滅びて、猿が進化したのか? ―
広島原爆の日に、久しぶりに50年以上前のSF映画「猿の惑星」を観た。現代に生きる人間の問題を鋭く突いている。
米国から打ち上げられた宇宙船が、飛行中何らかのトラブルによりある惑星に落ちた。そこで宇宙飛行士が出くわしたのは、人間の言葉をしゃべって文明生活を送る類人猿と、言葉を失って飼育されている人間たちだった。人間より高等な猿の住む惑星。そこでは、猿が人間に餌を与え、人間を消毒し、人間を駆除すべきとするセリフが飛び交う。なぜか。猿の博士が言う。快楽や欲望のために他者を殺し、一片の土地欲しさに兄弟さえ殺す、そんな霊長類は人間のみであり、古代の人間の文明から、高い技術の遺物と同時に愚かさの証拠を見た。人間が、ありとあらゆるものを滅ぼしてしまったのだと。
ラストシーン、猿たちが決して近づかない場所に、人間が行ってみる。そこで見たものは、なんと破壊され崩れかかった米国の自由の女神だった。つまり、ここは猿の惑星ではなく、かつて人間が生きていた地球だったのだ。人間は自らを滅ぼしていくのか。
戦争、感染症、環境破壊、気候変動・・・、今のタイミングで観ると、あまりにも示唆に富んでいる映画である。
(すぎジイ)
2024.08.07
すぎジイのつぶやき「柳に風」109
枠にはまらない企画
コンサートの企画という仕事は、一度ゼロから決算までの全ての行程を自分自身で手がけてみなければ本質がわからない。出演交渉や契約をしたり、チラシの作成やチケットの販売、PR、当日プログラムの作成、本番の準備、舞台進行、来場者の対応、反省会、決算。
どこにどれだけ時間を要するか、困難を極めるのか、スムーズに流れるのか、また問題が生じることもあれば思い通りに進まないこともある。「企画というものは、最初が一番面白い」ということも言われる。この企画はうまくいくだろうか?、お客さんは入るだろうか?、つまりそういう心配をしながらワクワク感とともに進めている時が一番面白いのであり、マンネリ化してきたらもうやめた方がよい。
かつて、能楽堂の舞台を使ってクラシックの企画に取り組んだことがある。「世界の宮廷音楽」と「枠にはまらない男たち」といういずれもシリーズで展開した企画だ。
「世界の宮廷音楽」シリーズは、古楽器の響きやバロックの魅力をドイツ、フランス、スペイン、オーストリア、中国、日本の宮廷音楽という切り口で6回にわたり紹介した。毎回、演奏者の選出から出演交渉、契約、チラシ作成から販売プロモーション、当日プログラムの曲目解説まで全てのコンサート準備から実施、決算までを一人で完遂した。これは非常に勉強になった。特に曲目解説は諸々資料を調べつつ、極力わかりやすい文章を心がけ、関連する絵も載せた。完成品には愛着が伴う。もちろん本番はいずれも予想以上に素敵な演奏で、自画自賛だが企画全体を好評いただいた。
また、「枠にはまらない男たち」シリーズは、三味線の本條秀太郎、大鼓の大倉正之助、尺八の三橋貴風という伝統芸能分野のプロフェッショナルでジャンルの“枠にはまらない”活動をしている3人の男たちに光を当て、それぞれ三味線と胡弓、大鼓とアフリカン・パーカッション、尺八と中国琵琶という民族楽器との斬新な共演を軸にした3回シリーズの企画として展開した。これも同様に企画段階から本番まで全てを自らが手がけ、なんとかやりきることができた。お客様の反応にも大きな手ごたえを感じたものである。
コンサートの企画は、一度徹底的に自力でやってみてこそ、全体像がわかるものだ。
(すぎジイのつぶやき)
2024.07.24
すぎジイのつぶやき「柳に風」108
忙しいということは、怠けている証拠だ
これは、安田理深という仏教学者の言葉だ。自分では自戒の意味も込めて座右の銘にしている大切な言葉である。一瞬、「忙しい」ことが「怠けている」とはどういうこと? おかしくない? 自分はこんなに忙しく頑張っているのに怠けているなんてふざけないで! と思ってしまうだろう。だが、少し言葉を補足するとなんとなく納得できるようにもなる。つまり、(資本主義的に)忙しいということは、(人間らしさ的に)怠けている証拠だと。
忙しいという字をよく見ると、りっしんべんに“亡”、「心を亡くす」と書く。「無くす」ではなく「亡くす」。無くしたものは探すのをやめた時にふと見つかることもよくある話だが、亡くなったものは、もう見つからない。忙しいと自分のことで精いっぱいになり、イライラしてゆとりが持てなくなる。こうなると相手に対する配慮もできなくなり、人間らしい心は亡くなるということだろう。そしてもう元には戻らない。「怠ける」というのは「おこたる」という意味もあるので、そこにはつまり人間らしい生き方を怠るという意味も隠れているのではないかと思うのである。
冷静に考えてみれば、忙しいという時は世間の都合や資本主義的に忙しい日常に振り回されているのではないだろうか。忙しさの中に埋没して、自分の人生を見失っていることに気づく時、少し立ち止まって、誰とも代わることのできない「いのち」を本当に生きるということを考えたいものである。常日頃から姿勢を正して味わいたい言葉。それが、「忙しいということは、怠けている証拠だ」である。けっしてふざけているわけではない。
(すぎジイのつぶやき)
2024.07.07
すぎジイのつぶやき「柳に風」107
舞台転換丸見えオペラ
オペラという総合舞台芸術は、通常は幕のある奥行きの深い舞台と馬蹄形の客席から成る歌劇場で上演されるものだが、実は、幕も奥行きもない舞台と細長い客席で構成されたクラシック専用の豊田市コンサートホールでも度々上演してきた。
上演したのはオーストリアのバーデン市劇場という歌劇場のオペラで、1996年から17年間毎年来日ツアーが行われた。当館以外にも全国の幕がないホールや多目的な市民劇場など厳しい条件の施設を会場にし、数々の名作オペラが演じられてきたのである。
幕がないので舞台転換は客席から丸見えだ。丸見えだから見せるしかない。そこで、ものは考えようということで、幕間の“舞台転換を見せるオペラ”ということを売りにしてやってきた。興味のある人にとっては裏が見えることは面白いものだ。幕が下りて舞台が隠れていれば、何も気にすることもなくバタバタとセットを片付ければいいが、客席から見られるとなると舞台転換もある意味見せ物としてカッコよくスピーディーにやる必要があり、転換のリハーサルも行った。また、これはある時舞台監督から聞いた話だが、実はここ豊田市コンサートホールの舞台出入口の扉の高さが他館に比べて最も低いため、あらゆる大道具を当館のサイズに合わせて現地で制作していたらしい。大道具類は荷物の搬入用大型エレベーターを使ってホールのある10階まで何回も往復するが、大型エレベーターにも入らない長物をエスカレータを利用して担いで運んだことも度々だ。これが高じて、やがてバックステージツアーという企画も始めてしまった。舞台転換だけでなく、本番前に楽屋や衣裳部屋を見学できるツアーである。普通のコンサート違い、オペラは華やかな衣装や大小道具類も多いため見応えもあり。お客様には大好評であった。
そして本番の舞台は、もちろん本格的なオペラを鑑賞できるので、お客様の満足度は高い。17年続いた来日ツアーがオペラカンパニー側の都合でなくなってからは、多くのお客様からつくづく惜しまれたものである。今では、あの慌ただしい舞台転換がとても懐かしい。
(すぎジイのつぶやき)