スタッフのつぶやき
2020.03.01
あかんちょうのつぶやき「柳に風」②
恐ろしい講座
先日、作曲家でピアニストの加藤昌則さんを講師に迎えて、新感覚のレクチャー「大人のためのクラシック」全6回シリーズという講座が始まった。初回は導入編で、代表的なクラシック作曲家を数人取り上げ、その特徴をユーモアたっぷりに紹介した。この講座、なんと恐ろしいことに館長が登場するコーナーが設けられており、しかも何をやるのか知らされず、リハーサルもない。
初回は、ドヴォルザークの交響曲「新世界」におけるシンバル奏者の大変さを体験してみなさいという内容だ。「新世界」は全4楽章のうちシンバル奏者が活躍する場面は、第4楽章の最初から2分ほどのところで、一発ジャーンと打つだけなのだ。それ以外はずっと座っているというある意味とても大変な役割である。打つ箇所を間違えたり打ち忘れたら、ハイそれで終わり。これを館長に体験してもらおうという講師の悪だくみだ。案の定思いっきり打ち遅れ、加藤さんは「ハイ、失敗しましたねー」とニッコリ(笑)。終演後は、お客様がこちらを見て妙にニタニタして帰って行かれるのにはまいった。
このシリーズの講座、これからも毎回何かやらされるらしいが、実に恐ろしい講座である。
(あかんちょう)
2020.02.20
あかんちょうのつぶやき「柳に風」①
無用の用
中国の思想家・荘子に「無用の用」という話がある。樗(おうち)と呼ばれる巨木があり、曲がりくねって節くれだっているため使い物にならないと言われていたが、荘子は「何故、その大木を広野の真ん中に植えて、大きな木陰の下、のびのびと寝そべって豊かな生を楽しまないのか。」と答えた。一見何の役にも立たないようなものこそが、実は大切な役割を果たしているということである。
コンサートホールと能楽堂という文化施設は、銀行や病院、郵便局、スーパー、飲食店などに比べると、日常の市民生活の場において、どうしても必要なものではない。しかし、私たち人間は、人生における折々で苦悩し、悲嘆し、歓喜する。ベートーヴェンの音楽は苦しみのどん底から光が見え、世阿弥の能は死者の悲しみが浄化されていく。人間の情感を余すところなく表現する芸術に触れた時、私たちは身が震えるほどの感動を覚えることがある。それは、きっと生きる力を与えてくれ、かけがえのない時間となるだろう。
令和の新しい時代、開館22年目を迎えたコンサートホール・能楽堂は、一人でも多くの方に「無用の用」の感動を実感していただきたい。
(あかんちょう)