スタッフのつぶやき

2022.03.27

あかんちょうのつぶやき「柳に風」51

歌う革命

 ロシアのウクライナ侵攻が止まらない。ロシアという大国に隣接する小国は、歴史上常に危機に晒されてきた。

 今から25年前の1997年、そのロシアに隣接するバルト三国のひとつエストニアに男声合唱団の演奏旅行で行ったことがある。当時の首都タリンには、まだかつての社会主義国ソビエト連邦に支配されていた頃の雰囲気が残っており、駅にはロシアの列車も停車していた。旧市街の演奏会場でコンサートを行い、アンコールでエストニアの伝統的な曲「Mu isamaa on minu arm(我が祖国、我が愛)」を歌った時のことだ。指揮者が聴衆に曲名を告げると、客席にざわめきが起き、全員が立ち上がった。そして厳粛な雰囲気のなか歌い終わると、ハンカチを出して涙を拭く方がたくさんいた。歌った方も感極まって鳥肌が立ち、涙があふれてきた。今まで経験したことのない感動的瞬間だった。

 エストニアは過去幾度も他国に支配されてきたが、第二次世界大戦でソビエト連邦に支配された後は、ロシア語の使用が強制され、母国語の歌を歌うことさえも禁止された。自国の言葉を自由に使えない、民族の歌が自由に歌えないことの辛さはいかほどのものであったろうか。バルト三国の人々にとって、歌と踊りは生活の一部。歌い、踊ることで自己を表現し、自国民であることの誇りや伝統文化を受け継いできた。

 1988年にタリン市郊外の「歌の広場」で行われた「歌と踊りの祭典」には、30万人以上の人々が集まり、独立を願って禁止されていたエストニア語の歌を大合唱したのだ。独立の機運は一気に高まり、1991年、ついにソ連から独立するが、この歌による無血の独立運動を「歌う革命」というのである。

 どの国にも、独自の言葉があり、歌があり、文化がある。それらを無くすることは誰にもできないはずだ。

(あかんちょう)

2022.03.15

あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊿

古いものが新しい

 「古いものが新しい。新しい新しいといっている間に古くなる。新しいものを追っかける人間はいつも古くなる。追いついた時には、古くなっておる。 古いものの中に新しいものを見る。それが無限でしょう。」これは、安田理深という仏教学者の言葉だ。

  20代に東京で広告の仕事をしていた時は、「新しいものこそ価値がある。常に時代の半歩先を行かなくては」と意識して、必死で最先端のものを追いかけていたが、やがて名古屋で明治40年創業の大衆酒場「大甚」に出遇い、「古いものはいいなぁ」としみじみ思うようになった。「大甚」は全国的にも有名な老舗酒場だが、その雰囲気はまるで江戸時代にタイムスリップしたような感覚を覚える。お客さんの中には、親子3代にわたり通い続けている人もいるとか。いつも元気な80代の大将とお燗番の女将さん、堂々たる酒樽と整然と並んだ徳利が美しい。今はコロナ禍でなかなか行けないが、まさに文化遺産といってもよいだろう。

 クラシックや能狂言も同じだ。300年前に作られたバッハの音楽は、あらゆる音楽家によって演奏されてきたが、現代ではかえって新しさすら感じる。さらに600年以上前に成立した能狂言は、ドナルド・キーン博士の言葉を借りれば、「その時代の政治情勢や思想と関係なく、時代を超えたテーマを扱っているので、あらゆる演劇の中で一番出来た時代の束縛を受けない」とのこと。クラシックも能狂言も古くさいものではなく、逆に常に新しい。

 古いものの中にこそ、真に普遍的なものが見いだせるのだ。

(あかんちょう)

2022.02.26

あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊾

出演者になるという恐怖体験

 3年間で全6回シリーズの企画「大人のためのクラシック」講座が終了した。この企画、作曲家でピアニストの加藤昌則さんを講師に迎え、毎回有名なクラシックの作曲家を取り上げながら、その音楽性や人間性を生演奏付きで楽しく紹介していくものだが、なんと、毎回館長が登場するコーナーが設けられるという世にも恐ろしい講座であった。

 例えば、初回のプレ講座では、ドヴォルザークの交響曲「新世界」の中で、1ヶ所だけあるシンバルを鳴らす場面を再演するというもの。2回目のバッハ編では、当時、バッハ作曲のカンタータの中に讃美歌を入れて演奏することを通して聖書の内容を広めたことを再現するために、替え歌を歌わされた。第3回はベートーヴェン。ウィーン郊外の田舎町を散歩しながら作曲に苦悩する様子をベートーヴェン専用のカツラを被って演じた。さらに4回目は天才モーツァルト。講師の加藤さんがモーツァルトの役、私が父親レオポルト役に扮して二人で掛け合い漫才をやった。ウィーンに行きたがる息子モーツァルトに対して「ウィーンは誘惑が多いからお前が行くな。代わりにワシが行こう」という内容。そして、5回目はシューベルト&シューマン。NHK番組「バラエティー生活笑百科」を真似た設定で、関西弁のコメンテーターになって講師の質問に答えるという役。そして最後6回目はブラームスで、彼が恋人のクララ・シューマンに宛てた恋文を朗読する役である。

 ある時は寸劇、ある時は漫才、ある時はコメンテーター、ある時はシリアスに朗読と、よくもまあその都度全く違う役柄を演じることができたものだが、いずれも台本や歌詞など本番直前に届き、焦りながら緊張して舞台に上がったのである。ただ、この経験を経て、クラシックの作曲家というものは皆例外なく、ほとばしるほどの「情熱」に満ちていたのだということを体感した。

 毎回来てくださったある高齢の可愛いおばあさまの「兄さんが出とるからエエんだわ」、という言葉に救われた。

(あかんちょう)

2022.02.15

あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊽

「老い」を大切にすること

 以前NHKで、能楽師で人間国宝・友枝昭世師の能「卒塔婆小町」が放送されたことがある。

 番組の中で友枝師は、「老い」というものは現代ではマイナスのイメージだが、 能の場合には「老い」や「老女」というものが最奥の曲で、とても大切にしていると語っておられた。一番肉体が衰えた時が、一番心の深さを表現できるというギャップ。能はそういう逆説的な表現を求めてくる。表現をしないで表現する。男の肉体を借りて女性を表現する。才色兼備な小野小町のなれの果て。そこには、今なお才気あり色がある百歳の老艶さ。知から情への入れ替わる瞬間。どうしようもない業の深さに迫るのだ。だからこそ能は、「老い」というものについて徹底的に尊厳をもって表現し、また能ほど「老い」を美として追及した芸術もないだろう。

 世阿弥はは老体の役を演ずる心得について「閑心遠目」と書いている。心を静かにして目は遠くを見よ、ということだ。その遠くとは、歩んできた遠い過去なのか、はたまた来世にもつながる将来を見る境地か、業の深さの悲しみか。

 能の「老い」は惨めさや醜さではなく、重み深みから最後の「老いの花」をうつし出すのであり、人間とは何かを語るのである。

(あかんちょう)

 

2022.01.27

あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊼

ハード・ロックをヴァイオリンの超絶技巧で演奏すると

 10代の頃、友人の影響でロックに傾倒した一時期があった。明けても暮れてもロックを聴いていた。ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、シン・リジィ、ブラック・サバスなど、ヘヴィメタルという英国で大流行したサウンドのロック・バンドだ。迫力あるギターソロや大音量、過激なステージパフォーマンスも人気を博したが、中には、アイルランド民謡の哀愁漂うメロディーをベースにアレンジした情感あふれるロック・サウンドもあり、ハード・ロックという範疇を越えるかのようだ。ギタリストにはバッハを崇拝する人もいて、実はクラシック音楽とのつながりも強い。

 数年前、ヴァイオリニストの石田泰尚率いる弦楽アンサンブル「石田組」が、ディープ・パープルの名ギタリスト、リッチー・ブラックモアのギターソロで知られる名曲「Brun(紫の炎)」を、ヴァイオリン曲にアレンジして演奏した。メンバーは全員男で、石田組長が信頼を置く第一線のアーティストを集めており、さしずめロック・グループのようだった。

 他にも、国内の主要オーケストラで活躍する凄腕弦楽器奏者4人によるモルゴーア・クァルテットは、1960年代後半から英国で一世を風靡したプログレッシブ・ロックを演奏するために結成された異色のクァルテットで、その入魂の演奏を聴くと、あまりに刺激的で原典のロック曲に全く引けを取らないどころか、進化していると思うほどだ。

 ロック・サウンドがクラシックの弦楽器でどう変化を遂げるのか、速弾きのギターソロはヴァイオリンの超絶技巧でどう聴かせるのか。これは最高の聴きどころである。そしてこの手のコンサート、コンサートホール内の客席は革ジャンで埋め尽くされる、かもしれない。

(あかんちょう)

2022.01.12

あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊻

樽酒と新春能

 毎年1月に新年の幕開けを祝い、能楽堂で新春能を開催する。その公演終了後に、能楽堂の玄関前で出演者と主催者で鏡割りを行い、ご来場のお客様に樽酒の振る舞いをするのが恒例だ。

 酒は地元豊田の老舗蔵元・浦野酒造が誇る銘酒「菊石」。前日に蔵元から四斗樽が運び込まれ、一晩会議室に鎮座して待つ。その間、部屋の中はお酒の素敵な香りが充満する。

 翌日いざ本番。終演後にロビーからあふれ出てくるお客様。紋付き袴姿の演者を待って、役者が揃ったところでいよいよ鏡割りだ。小槌で木蓋を割るとすぐにお酒と杉の木の香りが周りに広がる。スタッフはスーツの上から法被を羽織り、お盆にのせた大量のお猪口に樽から酒を注ぐ。樽の杉の香りのする日本酒は木の香りが爽やかでコクがあり、とてもまろやかで飲みやすい。老若男女が皆、楽しそうに飲み、歓談し、写真撮影に余念がない。ちょうどその時間帯に、背景の窓ガラスから夕陽が入るという新年のお決まりの光景だ。

 あかんちょうとしては、1年で一番楽しい日なのであるが、現在コロナ禍において、この一番楽しい日はしっかりと封印されている。ああ、樽の香りが懐かしい。

(あかんちょう)

 

2021.12.24

あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊺

バーンスタインと能

 20世紀を代表する大指揮者レナード・バーンスタインが、愛弟子だった指揮者の佐渡裕さんに能について語った話は有名だ。

 佐渡さんが初めてバーンスタインに会ったのは26歳の時で、アメリカのタングルウッド音楽祭に参加した時である。サングラスにパーカー姿でガムを噛みながら登場した典型的なアメリカ人の格好のバーンスタインが、佐渡さんに指揮を指導する際、いきなり能について30分も語り、能を通して指揮の極意を伝えたのである。

 英語が苦手なため、会場で戸惑っていた佐渡さんにバーンスタインは「能を知っているか」と声をかけてきた。次になぜか「ユタカ、握手をしよう」「極力遅いスピードで握手をしよう」と、20センチほどの距離から手のひらをゆっくり近づけるように言われた。2分くらいかけてゆっくりと手と手が触れそうなくらいにまで近づくと、その間に緊張感が出てきた。その次の瞬間、彼がパッと佐渡さんの手を握ったのである。まるで電気ショックが走ったようだったとのこと。

 感じ入る佐渡さんにバーンスタインは、「今感じた集中力・緊張感・エネルギー、これこそが能であり、日本人だけが持っている特別な感覚、才能なんだ」と語り、この感覚、精神でマーラーの交響曲第5番のゆっくりとした美しい第4楽章アダージェットを指揮するんだよ、と教えてくれた。佐渡さんは、クラシック音楽の世界でも日本人であることの強みを生かせる方法を知り、日本人としての誇りに目覚めさせられたのだ。

 外国人が能に見る本質は、かえって日本人よりも鋭いのである。

(あかんちょう)

2021.12.10

あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊹

本物のサンタクロース Santa Claus from Finland ‼️ 

 豊田市コンサートホールに本物のサンタクロースが来たことがある。

 2018年の12月8日、北欧フィンランドが生んだ大作曲家ジャン・シベリウスの誕生日の日に、毎年恒例のお祭りイベント、コンサートホール・フェスティバルをクリスマス・スペシャルとして開催した。

 その時の目玉が、なんとフィンランドのロヴァニエミにあるサンタ村から来た本物のサンタクロースとの写真撮影会だ。中部国際空港・フィンエアーの協力で実現したこの企画、来場したたくさんの子どもたちに夢を与えてくれた。

 イベントの中身は、オーケストラやパイプオルガンのコンサートはもちろん、指揮者体験や楽器体験コーナーがホール内のあちらこちらで行われ、楽器やツリーの飾りを作るクラフトコーナーもある参加型で親子連れに大好評だ。注目のサンタ撮影会のほかフィンランドの部屋、クリスマスソングを歌うコーナーなどもあり、始めから終わりまでサンタさんが一緒にいて花を添えてくれた。

 かく言う私も行列に並んで写真撮影をさせてもらったが、あらためて間近でサンタさんを見ると、その小さな小さな丸い眼鏡、ふわふわで顔の3倍はある白いヒゲ、大きな長靴に感動した。特に長靴はとてつもなく大きく長く、そして意外にも赤色ではなくベージュの本革でできたものだ。冬のフィンランドでは実用的なこのような形状が必需品だという話に納得した。

 本物を知ることは大切である。サンタクロースさん、ありがとう。Kiitos‼️

(あかんちょう)

2021.11.25

あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊸

お寺の掲示板

       ― 人生のキャッチコピー名作集 ―

 お寺の山門にある掲示板が好きで、通りかかって見つけると必ず立ち止まって写真を撮るかメモしてしまう。真理に貫かれた言葉は、自分に問いを突きつけられているものがほとんどで、とても耳が痛い。それでもやっぱり見てしまう。

 あるお寺の場合、掲示板の前の道路がカーブしており、車を運転中にじっくり脇見をされると危ないので、瞬時に読める言葉を選んで掲示していると聞いたことがある。言葉を選び出す方も大変だ。

 ある時、ふらっと立ち寄った本屋で偶然「お寺の掲示板」という本を見つけた。この本は、SNS上「輝け!お寺の掲示板大賞2018」に投稿された作品を集めたもので、難しい仏教用語は一切なく、人間の本性を鋭くあぶり出すような深く考えさせられるもの、ユニークなもの、意味不明なもの、有名人のものまで実にバラエティに富んでいて、その編集センスも実に素晴らしい。真理の言葉だから、繰り返し何度読んでも新たな発見がある。言うなれば人生のキャッチコピー集である。その後、毎年大賞が選ばれており、現在2冊目が発売されている。

 ちなみに、初年度の大賞作品は、誰もが一度だけ経験することと題して、「おまえも 死ぬぞ」であった! ドキッとするが、これ以上の真理はない。

(あかんちょう)

2021.11.12

あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊷

おれは、助けてもらわねェと生きていけねェ自信がある!

                ― 「ONE PIECE」より リーダーシップの本質 ―

 数年前に、大型複合ビルの自衛消防業務の講習会に参加したことがある。

 自衛消防とは、災害時において消防隊が到着するまでの間、ビルに入居しているテナントが協力して自分たちで防衛する任務のこと。自分が所属した研修の第2班グループには、ホテルや百貨店、JRタワーや総合病院など大型施設に長年勤務する熟練者がたくさんいたにも関わらず、全体指揮を執る班長の役割を私が指名されてしまった。

 受講者に台本は一切なく、代わりにタブレットを持たされ、題材が大スクリーンに映し出されると、次々に想定を超えた困難が降りかかりタブレットの画面に映される仕掛けになっている。119番通報はつながらない。必死に対応して避難誘導が完了するまで約1時間、集中しっぱなしであった。

 班によっては、班長の圧倒的なリーダーシップで、班員が黙々と対応しているグループもあったが、こちらはそうはいかない。班内の初期消火、情報伝達、避難誘導、救出救護ほか各班員から意見を引き出し、お互いの情報交換も促しながら、どうにかやっと訓練を終えた。

 訓練後の反省会で、指導員に驚くべきことを言われた。第2班が組織的には最も理想的である。非常時のリーダーは、決して自分で全てを決めて指示を出そうと思わないこと。過信と焦りで判断を誤ったら大変だ。現場のメンバーに、瞬時に情報やアイデアを出させ、自由に発言できる組織がいい。自分は大したことない存在と捉え、皆の助けを借りて緊急に事をまとめることが大切だと。

 その瞬間、ONE PIECEのあの名セリフを思い出した。周りに助けてもらえる時、実は人は最も自立しているのだ。

(あかんちょう)

2021.10.27

あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊶

アイデアのつくり方

 ジェームス・W・ヤングの名著「アイデアのつくり方」では、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」と定義している。つまり、アイデアというものはゼロ状態から全く新しいものを生み出すということではなく、すでにあるものを組み合わせることにより、新しい価値を作り出すことなのだ。

 考えてみれば、舞台芸術の世界でも、魅力的な舞台制作をするために常に企画のアイデアを考えている。実際これまでも記憶に残る好企画はたくさんあったが、それらは、日常的には”対”で考えないものを組み合わせてみることによって構成したものがほとんどだ。

 豊田市能楽堂が発案した看板企画に「朗読と能」というものがある。能は、平家物語や源氏物語、伊勢物語など多くは古典の中に素材を求めて作られるが、その原点となる古典の朗読をアナウンサーや俳優さんに語ってもらい、後半でその部分の能を観るという企画だ。これにより、後半の能がより理解しやすく、深く鑑賞することができると好評だ。同じく能楽堂の講座では、能狂言をより楽しんでもらうために異なる様々なジャンルを切り口にして能に入り込む企画も行ってきた。例えば、「剣と能」「能とコミック」「能と仏教」「能と健康法」等々多くの組み合わせがある。また、コンサートホールのオーケストラ・ライブ・シネマという企画は、チャップリンの名作無声映画をスクリーンに映し出し、オーケストラが生音で演奏を聴かせる臨場感あふれるコンサートだし、パイプオルガンとプロジェクションマッピングのコラボレーションも斬新だった。

 いずれも結果として、新たな境地を開いてきたものばかりだ。何も難しく考える必要はない。思いつく異質なものを先入観を捨てて組み合わせてみればいいのだ。さて、次は何を組み合わせてみようか。

(あかんちょう)

2021.10.15

あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊵

北欧の合唱音楽 

 豊田市コンサートホールでは、クラシック音楽の様々なジャンルのコンサートを行っているが、その一角を占めているのが“世界の名コーラス・シリーズ”と称した合唱の企画である。

 なかでも特に北欧諸国は合唱王国とも言われ、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドとバルト三国のエストニア、ラトビア、リトアニアは、いずれもプロ・アマ合唱団が数多く存在し、そのレベルは極めて高く、国を挙げた合唱フェスティバルも盛んである。

 スウェーデン放送合唱団は当ホールに2回登場したが、その奇跡に近い純正ハーモニーにお客様の拍手が鳴りやまず、2曲予定していたアンコール曲の後、追加でもう1曲演奏し、さらに楽屋へ帰り始めた団員をなんと指揮者が大声で呼び戻し、最後にもう1曲歌うという驚異的なことが起こった。

 フィンランディア男声合唱団やエストニア国立男声合唱団は、クリアかつ重厚なハーモニーで幾度も倍音が鳴り響き、男声合唱の神髄を聴かせてくれたが、演奏のアイデアも素晴らしく、ワイングラスをこすって音を発する、膨らませた紙袋を全員一斉に叩いて破裂音を演出する、ステージだけでなく客席も使って歌うことでホール全体を響かせる等々、ユニークで刺激的なコンサートが特色だ。

 大地と共に生きるブルガリア女声コーラスの演奏は、何層にも重なる不協和音による幻想的な美しさに涙が出るほどだった。一人一人が異なる民族衣装を身につけながら、歌声は平和なハーモニーとなって溶け合って響く。これほど自然と共生するコーラスも聴いたことがない。自然破壊が叫ばれる地球上に、ブルガリアンヴォイスは人類の宝物であろう。 

 媒介するものがない人間の声による合唱音楽は、あらゆる音楽の中でもその原点であり自然に近く、最も人間の心に響くものではないだろうか。

(あかんちょう)