スタッフのつぶやき
2022.05.25
あかんちょうのつぶやき「柳に風」55
京都、東・西本願寺の能舞台で祝賀能を観る
かねてから見てみたかった京都の東本願寺と西本願寺の能舞台で、それぞれ祝賀能が上演され、幾度か観に行ったことがある。東本願寺は金剛流、西本願寺は観世流が奉仕していた。
能は、あるひとつの法要の形だとも言われるが、本願寺八世で中興の祖と言われた蓮如上人は、能狂言を殊のほか好み、法座の中で頻繁に上演したり、法話の素材にもしていたという。また、本願寺の坊官で下間少進という人物は、玄人顔負けの能の名手で、時の名人金春大夫に習い、豊臣秀吉や徳川家康に能を教える指南役でもあった。本願寺と能の関係は深い。
五月の見事な快晴の下、白州を挟んだ向かいの白書院から観る舞台はとても風情があり、本来野外で行われていた能の姿を目の当たりにする。舞台から書院へ抜ける謡と鼓や笛の音が心地よく、爽やかな風と共に装束の裾がかすかに揺れるのは、屋内ではとても見られない。時間帯による自然光の陰影もまた素晴らしく、新緑の中でまさに自然と一体化した、普段観ることのできない味わい深い能の上演であった。
実は、この本願寺の能舞台で能狂言を観る小旅行は、娘からの誕生日プレゼントだった。嬉しくて涙が出た。
(あかんちょう)
2022.05.14
あかんちょうのつぶやき「柳に風」54
離れていてもつながっている
何事もやってみなければわからない。
ちょうど2年前の今頃、コロナ禍において流行したオンライン飲み会を初めてやった。メンバーは、大学時代の男声合唱団の同期の仲間7人。皆、全国に散らばっている。ゆる〜い感じで、なかなか面白かった。
やってみてわかったこと。居酒屋で座して飲み会をやる場合、大抵は誰かリーダーとして仕切ったり、やたら喋る奴が一人いたりするが、オンラインだとそういうことがない。皆が平等で均等に喋っているし、また、喋らなくてもいい。実に自然だ。時折、奥さんが参加してきたり、娘さんにうるさいと注意されて謝ったり。和やかな雰囲気が伝わってくる。
同じ頃新聞記事に、小学校でオンライン授業をやったところ、普段引きこもりがちな子が、一番最初に意見を言ったということが書いてあった。コロナの影響で社会環境は激変したが、必ずしも悪いことばかりではなかったかもしれない。
酔った勢いで、今度は僕たちもリモート合唱をやってみようかとその時話題になったけど、このメンバーだとシラフでもアカンわなー。
(あかんちょう)
2022.04.20
あかんちょうのつぶやき「柳に風」53
初心者にお薦めの能「隅田川」
「隅田川」という能があり、初心者にお薦めすることが多い。物語の構成がわかりやすく、涙なくして観られないからだ。
そのストーリーは以下の通り。行方不明のわが子を捜し求め、京の都から東国の隅田川までたどりついた一人の女。川渡しの船頭から、人買いに捨てられて亡くなった幼子の話を聞くうち、その子こそわが子だと泣き崩れる。奇しくも今日はその一周忌。これから大念仏の回向が行われる。墓前で「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えていると、塚の中からわが子の声が聞こえ、姿が現れた。思わず抱きしめようとする母だが、すり抜けるわが子を抱きしめられない。やがて夜明けとともに幻は消え、あとにはぼうぼうたる春草の生い茂る塚が残るばかりであった。わが子に見えたのは、塚に生える草だったのだ。説話「山椒大夫」にも出てくるように、人買いが横行した中世という時代の無情と無常。母のひたすらな悲しみを美しく凝縮し結晶させた能の名作中の名作だ。
子役に関する演出として、実際に子役を亡霊として登場させるもの、姿は現さずに声だけ聞こえるもの、声も出さないものなど幾通りかあるが、あえて子役を登場させずに、いないわが子の姿が見えてくるような幽玄の演出が、個人的には最も能の本質を表現していると思う。
やがて念仏のうちに終わっていく能。人は生活の中で念仏するのか、念仏の中で生活しているのだろうか。
(あかんちょう)
2022.04.12
あかんちょうのつぶやき「柳に風」52
焚き火の楽しみ
近所の河原に出て焚き火をするのが好きだ。便利で快適なものからかけ離れた不便で面倒くさいアナログのひと時である。
焚き火道具を持ち込み、火を焚く場所を決め、燃料の薪にする流木や枯れ枝を拾い集める。大きめの薪は鉈で割りナイフでバトニングをして、大きさの順に並べる。焚き火台をセットし、その周囲に河原の石を並べる。薪を組んで、中央に麻ひもやススキの穂など火口になる燃料を置き着火。静かに火を熾す。慌ててやたらと薪を燃焼させず、ゆっくりと火を育て、小さな美しい火に整える。ガンガン燃やす焚き火は好きではなく、小さな焚き火がいい。やがて火が安定したら、水を汲んだケトルや鍋を火にかける。時々火吹き棒で空気を送り込んでやると、火が生き返る。寒い冬なら暖を取り、お湯が沸いたり、何か煮たり焼いたりして、火の恩恵を受ける。しばらくじっと見つめるのもいい。十分に火の恩恵を受けたら、徐々に焚き火のエンディングに向かう。薪を入れることをやめ、炎が小さくなるのを見守る。ゆっくり時間をかけて。炭は分解せずに残るが、全てが灰になれば、それは土の養分になる。静かに焚き火の仕舞いをする。火熾しも大事だが、火を仕舞うことはとても大切だ。
焚き火の一連の流れは、人生そのものだと思う。生まれて生き、生の営みを終えてゆくまでを丁寧に味わう。自然や天候、燃料により二つと同じ炎のカタチはなく、決して所有することができないという魅力。焚き火は、火、水、木、石、空気等々、自然界の様々な要素を受け入れるためか、何か根源的なものが満たされてゆくから不思議である。
(あかんちょう)
2022.03.27
あかんちょうのつぶやき「柳に風」51
歌う革命
ロシアのウクライナ侵攻が止まらない。ロシアという大国に隣接する小国は、歴史上常に危機に晒されてきた。
今から25年前の1997年、そのロシアに隣接するバルト三国のひとつエストニアに男声合唱団の演奏旅行で行ったことがある。当時の首都タリンには、まだかつての社会主義国ソビエト連邦に支配されていた頃の雰囲気が残っており、駅にはロシアの列車も停車していた。旧市街の演奏会場でコンサートを行い、アンコールでエストニアの伝統的な曲「Mu isamaa on minu arm(我が祖国、我が愛)」を歌った時のことだ。指揮者が聴衆に曲名を告げると、客席にざわめきが起き、全員が立ち上がった。そして厳粛な雰囲気のなか歌い終わると、ハンカチを出して涙を拭く方がたくさんいた。歌った方も感極まって鳥肌が立ち、涙があふれてきた。今まで経験したことのない感動的瞬間だった。
エストニアは過去幾度も他国に支配されてきたが、第二次世界大戦でソビエト連邦に支配された後は、ロシア語の使用が強制され、母国語の歌を歌うことさえも禁止された。自国の言葉を自由に使えない、民族の歌が自由に歌えないことの辛さはいかほどのものであったろうか。バルト三国の人々にとって、歌と踊りは生活の一部。歌い、踊ることで自己を表現し、自国民であることの誇りや伝統文化を受け継いできた。
1988年にタリン市郊外の「歌の広場」で行われた「歌と踊りの祭典」には、30万人以上の人々が集まり、独立を願って禁止されていたエストニア語の歌を大合唱したのだ。独立の機運は一気に高まり、1991年、ついにソ連から独立するが、この歌による無血の独立運動を「歌う革命」というのである。
どの国にも、独自の言葉があり、歌があり、文化がある。それらを無くすることは誰にもできないはずだ。
(あかんちょう)
2022.03.15
あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊿
古いものが新しい
「古いものが新しい。新しい新しいといっている間に古くなる。新しいものを追っかける人間はいつも古くなる。追いついた時には、古くなっておる。 古いものの中に新しいものを見る。それが無限でしょう。」これは、安田理深という仏教学者の言葉だ。
20代に東京で広告の仕事をしていた時は、「新しいものこそ価値がある。常に時代の半歩先を行かなくては」と意識して、必死で最先端のものを追いかけていたが、やがて名古屋で明治40年創業の大衆酒場「大甚」に出遇い、「古いものはいいなぁ」としみじみ思うようになった。「大甚」は全国的にも有名な老舗酒場だが、その雰囲気はまるで江戸時代にタイムスリップしたような感覚を覚える。お客さんの中には、親子3代にわたり通い続けている人もいるとか。いつも元気な80代の大将とお燗番の女将さん、堂々たる酒樽と整然と並んだ徳利が美しい。今はコロナ禍でなかなか行けないが、まさに文化遺産といってもよいだろう。
クラシックや能狂言も同じだ。300年前に作られたバッハの音楽は、あらゆる音楽家によって演奏されてきたが、現代ではかえって新しさすら感じる。さらに600年以上前に成立した能狂言は、ドナルド・キーン博士の言葉を借りれば、「その時代の政治情勢や思想と関係なく、時代を超えたテーマを扱っているので、あらゆる演劇の中で一番出来た時代の束縛を受けない」とのこと。クラシックも能狂言も古くさいものではなく、逆に常に新しい。
古いものの中にこそ、真に普遍的なものが見いだせるのだ。
(あかんちょう)
2022.02.26
あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊾
出演者になるという恐怖体験
3年間で全6回シリーズの企画「大人のためのクラシック」講座が終了した。この企画、作曲家でピアニストの加藤昌則さんを講師に迎え、毎回有名なクラシックの作曲家を取り上げながら、その音楽性や人間性を生演奏付きで楽しく紹介していくものだが、なんと、毎回館長が登場するコーナーが設けられるという世にも恐ろしい講座であった。
例えば、初回のプレ講座では、ドヴォルザークの交響曲「新世界」の中で、1ヶ所だけあるシンバルを鳴らす場面を再演するというもの。2回目のバッハ編では、当時、バッハ作曲のカンタータの中に讃美歌を入れて演奏することを通して聖書の内容を広めたことを再現するために、替え歌を歌わされた。第3回はベートーヴェン。ウィーン郊外の田舎町を散歩しながら作曲に苦悩する様子をベートーヴェン専用のカツラを被って演じた。さらに4回目は天才モーツァルト。講師の加藤さんがモーツァルトの役、私が父親レオポルト役に扮して二人で掛け合い漫才をやった。ウィーンに行きたがる息子モーツァルトに対して「ウィーンは誘惑が多いからお前が行くな。代わりにワシが行こう」という内容。そして、5回目はシューベルト&シューマン。NHK番組「バラエティー生活笑百科」を真似た設定で、関西弁のコメンテーターになって講師の質問に答えるという役。そして最後6回目はブラームスで、彼が恋人のクララ・シューマンに宛てた恋文を朗読する役である。
ある時は寸劇、ある時は漫才、ある時はコメンテーター、ある時はシリアスに朗読と、よくもまあその都度全く違う役柄を演じることができたものだが、いずれも台本や歌詞など本番直前に届き、焦りながら緊張して舞台に上がったのである。ただ、この経験を経て、クラシックの作曲家というものは皆例外なく、ほとばしるほどの「情熱」に満ちていたのだということを体感した。
毎回来てくださったある高齢の可愛いおばあさまの「兄さんが出とるからエエんだわ」、という言葉に救われた。
(あかんちょう)
2022.02.15
あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊽
「老い」を大切にすること
以前NHKで、能楽師で人間国宝・友枝昭世師の能「卒塔婆小町」が放送されたことがある。
番組の中で友枝師は、「老い」というものは現代ではマイナスのイメージだが、 能の場合には「老い」や「老女」というものが最奥の曲で、とても大切にしていると語っておられた。一番肉体が衰えた時が、一番心の深さを表現できるというギャップ。能はそういう逆説的な表現を求めてくる。表現をしないで表現する。男の肉体を借りて女性を表現する。才色兼備な小野小町のなれの果て。そこには、今なお才気あり色がある百歳の老艶さ。知から情への入れ替わる瞬間。どうしようもない業の深さに迫るのだ。だからこそ能は、「老い」というものについて徹底的に尊厳をもって表現し、また能ほど「老い」を美として追及した芸術もないだろう。
世阿弥はは老体の役を演ずる心得について「閑心遠目」と書いている。心を静かにして目は遠くを見よ、ということだ。その遠くとは、歩んできた遠い過去なのか、はたまた来世にもつながる将来を見る境地か、業の深さの悲しみか。
能の「老い」は惨めさや醜さではなく、重み深みから最後の「老いの花」をうつし出すのであり、人間とは何かを語るのである。
(あかんちょう)
2022.01.27
あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊼
ハード・ロックをヴァイオリンの超絶技巧で演奏すると
10代の頃、友人の影響でロックに傾倒した一時期があった。明けても暮れてもロックを聴いていた。ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、シン・リジィ、ブラック・サバスなど、ヘヴィメタルという英国で大流行したサウンドのロック・バンドだ。迫力あるギターソロや大音量、過激なステージパフォーマンスも人気を博したが、中には、アイルランド民謡の哀愁漂うメロディーをベースにアレンジした情感あふれるロック・サウンドもあり、ハード・ロックという範疇を越えるかのようだ。ギタリストにはバッハを崇拝する人もいて、実はクラシック音楽とのつながりも強い。
数年前、ヴァイオリニストの石田泰尚率いる弦楽アンサンブル「石田組」が、ディープ・パープルの名ギタリスト、リッチー・ブラックモアのギターソロで知られる名曲「Brun(紫の炎)」を、ヴァイオリン曲にアレンジして演奏した。メンバーは全員男で、石田組長が信頼を置く第一線のアーティストを集めており、さしずめロック・グループのようだった。
他にも、国内の主要オーケストラで活躍する凄腕弦楽器奏者4人によるモルゴーア・クァルテットは、1960年代後半から英国で一世を風靡したプログレッシブ・ロックを演奏するために結成された異色のクァルテットで、その入魂の演奏を聴くと、あまりに刺激的で原典のロック曲に全く引けを取らないどころか、進化していると思うほどだ。
ロック・サウンドがクラシックの弦楽器でどう変化を遂げるのか、速弾きのギターソロはヴァイオリンの超絶技巧でどう聴かせるのか。これは最高の聴きどころである。そしてこの手のコンサート、コンサートホール内の客席は革ジャンで埋め尽くされる、かもしれない。
(あかんちょう)
2022.01.12
あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊻
樽酒と新春能
毎年1月に新年の幕開けを祝い、能楽堂で新春能を開催する。その公演終了後に、能楽堂の玄関前で出演者と主催者で鏡割りを行い、ご来場のお客様に樽酒の振る舞いをするのが恒例だ。
酒は地元豊田の老舗蔵元・浦野酒造が誇る銘酒「菊石」。前日に蔵元から四斗樽が運び込まれ、一晩会議室に鎮座して待つ。その間、部屋の中はお酒の素敵な香りが充満する。
翌日いざ本番。終演後にロビーからあふれ出てくるお客様。紋付き袴姿の演者を待って、役者が揃ったところでいよいよ鏡割りだ。小槌で木蓋を割るとすぐにお酒と杉の木の香りが周りに広がる。スタッフはスーツの上から法被を羽織り、お盆にのせた大量のお猪口に樽から酒を注ぐ。樽の杉の香りのする日本酒は木の香りが爽やかでコクがあり、とてもまろやかで飲みやすい。老若男女が皆、楽しそうに飲み、歓談し、写真撮影に余念がない。ちょうどその時間帯に、背景の窓ガラスから夕陽が入るという新年のお決まりの光景だ。
あかんちょうとしては、1年で一番楽しい日なのであるが、現在コロナ禍において、この一番楽しい日はしっかりと封印されている。ああ、樽の香りが懐かしい。
(あかんちょう)
2021.12.24
あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊺
バーンスタインと能
20世紀を代表する大指揮者レナード・バーンスタインが、愛弟子だった指揮者の佐渡裕さんに能について語った話は有名だ。
佐渡さんが初めてバーンスタインに会ったのは26歳の時で、アメリカのタングルウッド音楽祭に参加した時である。サングラスにパーカー姿でガムを噛みながら登場した典型的なアメリカ人の格好のバーンスタインが、佐渡さんに指揮を指導する際、いきなり能について30分も語り、能を通して指揮の極意を伝えたのである。
英語が苦手なため、会場で戸惑っていた佐渡さんにバーンスタインは「能を知っているか」と声をかけてきた。次になぜか「ユタカ、握手をしよう」「極力遅いスピードで握手をしよう」と、20センチほどの距離から手のひらをゆっくり近づけるように言われた。2分くらいかけてゆっくりと手と手が触れそうなくらいにまで近づくと、その間に緊張感が出てきた。その次の瞬間、彼がパッと佐渡さんの手を握ったのである。まるで電気ショックが走ったようだったとのこと。
感じ入る佐渡さんにバーンスタインは、「今感じた集中力・緊張感・エネルギー、これこそが能であり、日本人だけが持っている特別な感覚、才能なんだ」と語り、この感覚、精神でマーラーの交響曲第5番のゆっくりとした美しい第4楽章アダージェットを指揮するんだよ、と教えてくれた。佐渡さんは、クラシック音楽の世界でも日本人であることの強みを生かせる方法を知り、日本人としての誇りに目覚めさせられたのだ。
外国人が能に見る本質は、かえって日本人よりも鋭いのである。
(あかんちょう)
2021.12.10
あかんちょうのつぶやき「柳に風」㊹
本物のサンタクロース Santa Claus from Finland ‼️
豊田市コンサートホールに本物のサンタクロースが来たことがある。
2018年の12月8日、北欧フィンランドが生んだ大作曲家ジャン・シベリウスの誕生日の日に、毎年恒例のお祭りイベント、コンサートホール・フェスティバルをクリスマス・スペシャルとして開催した。
その時の目玉が、なんとフィンランドのロヴァニエミにあるサンタ村から来た本物のサンタクロースとの写真撮影会だ。中部国際空港・フィンエアーの協力で実現したこの企画、来場したたくさんの子どもたちに夢を与えてくれた。
イベントの中身は、オーケストラやパイプオルガンのコンサートはもちろん、指揮者体験や楽器体験コーナーがホール内のあちらこちらで行われ、楽器やツリーの飾りを作るクラフトコーナーもある参加型で親子連れに大好評だ。注目のサンタ撮影会のほかフィンランドの部屋、クリスマスソングを歌うコーナーなどもあり、始めから終わりまでサンタさんが一緒にいて花を添えてくれた。
かく言う私も行列に並んで写真撮影をさせてもらったが、あらためて間近でサンタさんを見ると、その小さな小さな丸い眼鏡、ふわふわで顔の3倍はある白いヒゲ、大きな長靴に感動した。特に長靴はとてつもなく大きく長く、そして意外にも赤色ではなくベージュの本革でできたものだ。冬のフィンランドでは実用的なこのような形状が必需品だという話に納得した。
本物を知ることは大切である。サンタクロースさん、ありがとう。Kiitos‼️
(あかんちょう)