スタッフのつぶやき
2021.01.10
あかんちょうのつぶやき「柳に風」㉒
不便さの向こうにしかない豊かさ
空前のアウトドアブームである。特にキャンプ。それもソロキャンプが流行している。コロナ禍の影響で三密を避けることを優先し、野外で間隔を開けて楽しめることに人が流れているのかもしれない。考えてみれば、キャンプの眼目は不便さを味わうことである。自らテントを張り、薪を割り、火を熾して調理する。自然に触れ、風の音、川の流れ、鳥の鳴き声を聞きながら、空を眺める。便利で快適な室内で、じっとSNSにかじりついている日常とはかけ離れた世界だ。なぜ、多くの人がわざわざそのような不便さを求めてキャンプに行くのだろうか。冬になれば寒く、夏であれば暑い。寒空の下で白い息を吐きながら焚火をして、手間をかけて調理をするのには、どんな意味があるのだろうか。それは、明らかにその非日常性の中で、自らの五感が刺激を受けるからではないだろうか。本来はそちらの方が日常だったのだろうが、便利で快適な生活に馴れてしまった現代の私たちは、五感を使わなくても、大抵のことが疑似体験できる世界に埋没してしまった。それが行き過ぎてしまった反動なのかもしれない。
そのように考えてくると、能・狂言などはまさに不便さ・不親切さを地で行く芸能だと思う。謡や台詞の言葉は古く、象徴的な所作が多い。説明らしいものもほとんどなく、不親切極まりない。すなわち、観客側の想像力が相当必要なのだ。はたしてこれを、不自由と捉えるか自由と捉えるか。テレビをつければ、お笑い芸人による即席で笑える?番組が多い。狂言ではこうはいかない。能・狂言を楽しむには、五感を働かせる必要がある。暖房の効いた室内で飲むコーヒーよりも、風の冷たい野外で火を熾して淹れたコーヒーはなぜか美味い。
不便さの向こうにしか、本当に心の底から満たされる豊かさはないのではないだろうか。
(あかんちょう)
2020.12.24
あかんちょうのつぶやき「柳に風」㉑
遅刻寸前の巨匠
1998年12月4日、豊田市コンサートホールのオープニング・シリーズで、「アシュケナージ、ズッカーマン、ハレルによるピアノ・トリオ」という世紀の大ソリストによる豪華トリオのコンサートを行った。もちろん即日完売で満席のお客様が待ち望んでいた。だが、何か大きな不安が潜んでいた。
コンサート当日、名古屋のホテルに前泊していた3人のアーティストたちは、それぞれ個別にタクシーを使って豊田入りしてきた。ピアノのアシュケナージとチェロのハレルは、早々と到着し、黙々と練習を始める。一人だけ到着しない男がいた。天賦の音楽的才能と驚異的なテクニックを持つ天才ヴァイオリニスト、ズッカーマンだ。リハーサルの予定時間になっても到着せず、心配になったマネージャーがホテルに連絡すると、まだホテルでリラックスしていた。驚いたマネージャーが彼を急がせ、ホテルから出てタクシーに乗るというところまで確認が取れた。だが、いっこうにズッカーマンは到着しない。すでにリハーサルの時間は無くなり、アシュケナージもハレルも諦めて、楽屋で練習。本番時間が近づいてくる。アシュケナージは気になって仕方がなく、心配そうに楽屋から顔だけ出して「彼はまだか?」と何度も訊いてきた。
ついにホールが開場した。お客様が次々と入場して客席を埋めていく。まだ到着しない。いよいよマネージャーも我々スタッフも焦りだし、2人のアーティストは、トリオではなくデュオで演奏を開始する相談まで始めた。緊急事態のアナウンス原稿も考え始めた。とうとう開演15分前、もはやトリオでの演奏を諦めかけたその瞬間、お茶目な笑顔のズッカーマンがニコニコ笑いながら現れた。何かジョークを言い放っているらしく、アシュケナージもハレルも呆れているようだったが、とにかく間に合ってよかった。ギリギリの遅刻寸前だが、なんとか開演を遅らすことなくいざ本番だ。
この日私はステージマネージャーの担当だったが、3人をステージに送り出した直後、客席がどよめいた。ズッカーマンが舞台袖に戻ってくるではないか! なんと楽譜を舞台袖に忘れたらしく、手に取ると、「忘れ物をしました」と言わんばかりに客席の方に楽譜を掲げて見せながら悠々とステージに戻っていった。天才恐るべしである。結局3人はステージで一度も音を合わせることもなく、いきなり本番で最高のショスタコーヴィチを演奏し、満席の客席を唸らせたのだった。
コンサートホールでの仕事がまだ駆け出しの頃のこと。いきなり洗礼を受けた、いまだに忘れられない思い出である。
(あかんちょう)
2020.12.12
あかんちょうのつぶやき「柳に風」⑳
狂言にみる人間の本性
「月見座頭」という狂言がある。タイトルが洒落ている。
目の見えない座頭が月見をするというのだ。中秋の名月の夜、下京に住む一人の座頭が野辺に出て虫の音を聞いている。たまたま通りかかった上京の男が声をかけ、座頭を労わり、意気投合して酒盛りが始まる。やがて宴が尽きて二人が別れた後、男はふと悪戯心を起こして引き返し、声色を変えて座頭に罵声を浴びせ、突き倒して立ち去る。目の見えない座頭は、「今の奴は最前のお方とは違い情のない人だ」とつぶやいたところで、狂言が終わる。客席に深い問いを残して。
人間が持つ相反する善悪の二面性を浮き彫りにした狂言の名作だ。これまで豊田市能楽堂では、茂山千作、野村万作、山本東次郎ら3人の人間国宝によって3回演じていただき、いずれも大変な名演であった。東次郎師が言うとおり、「見えない人がよく見えており、見える人が実はよく見えていない」ということは世の中には多いであろう。見えない座頭は野辺で虫の声を聞くことにより心の深いところで月見をする。一方、目の見える上京の男はどうだろう。
狂言を観た後、私はこの上京の男とは違う人間だと、はたして言えるだろうか。
(あかんちょう)
2020.11.25
あかんちょうのつぶやき「柳に風」⑲
川のある町
作曲家の中村泰士さんが豊田市コンサートホールに出演された時、「豊田市は大きな川が流れていていいですね。町の真ん中に川がある町はいい町ですよ」と言われたことを覚えている。
町の中央に川が流れている都市は、世界中にたくさんあるが、そこに住んでいる人には当たり前すぎて、そのよさに気がつかない。川があれば土があり緑があり、自然の瑞々しさがなんとなく町にあふれているのだ。
コロナ禍をキッカケに自然を求めて散歩をすることが増えたが、5月頃だったか、ある時ふと川べりに立ち寄ると先客がいた。川に向かって一人チューバを吹く青年だ。カッコいい。トランペットでは絵になり過ぎるし、ホルンやトロンボーンではちと違う。チューバの優しい低音が、川のせせらぎに自然と溶け込んでいた。これもコロナの影響による三密を避けた練習なのかもしれない。声を掛けたかったが、そっとしておこうと思い、静かに耳を傾けた。
偶然にも遭遇した、つかの間の野外のミニコンサートだった。さてと腰をあげると、小鳥がアンコールを要求していた。川のある町はいいいものだ。
(あかんちょう)
2020.11.11
あかんちょうのつぶやき「柳に風」⑱
ストリートピアノという自由
世界の空港・駅・街角などに置かれた“誰でも自由に弾けるピアノ”のことをストリートピアノという。いわゆる、公共のピアノである。世界で最初に設置されたのは、2008年に英国のバーミンガム市で、市内に15台のピアノが設置されたのが始まりだとか。日本では、鹿児島市の一番街商店街に置かれたのが第1号。皆それぞれ物語があるようだ。
そして、このたび豊田市コンサートホールの入っている豊田参合館ビルの1階ロビーに、「参合館みんなのピアノ」としてストリートピアノを設置した。きっかけは、地元の高校生の提案だ。
オープン初日は、弾く人がいるのか心配で演奏者のサクラを用意していたのだが、余計な心配だったようで、様々な年代の男性が次々にやってきて華麗に演奏した。これがまた実にカッコよく、いきなりメンズデーとなった。
2日目は、朝から子どもたちが来て、ピアノ発表会の度胸試しに一生懸命だ。その後は、学生さんやお母さんたち、ユーチューバーの男性、優しいタッチのおじいさんなど次から次へと途切れることがない。映像を撮ったり、インスタ映えを狙った人たちもいる。演奏曲もクラシックからポップス、童謡に民謡、ピアノ練習曲まで様々で聴いていても実に楽しい。他人同士でもお互いに拍手をしたり、その場で自然に会話が始まるなど音楽の輪がどんどん広がっていく。皆一様に幸せそうな表情だ。
自由に弾けるストリートピアノは、音楽を通じて人と人とをつなぐ素敵なアイテムになった。私も含め、ピアノを弾かないギャラリーのほとんどは、たぶん「私もピアノを習っておけばよかったなあ」である。
(あかんちょう)
2020.10.24
あかんちょうのつぶやき「柳に風」⑰
カスタネットの女王
50数年前、保育園のお遊戯会で器楽合奏をしたことを覚えている。カスタネット、タンバリン、トライアングルに大太鼓。その他大勢に押しやられる楽器は、決まって一番単純なカスタネットだ。園児の手のひらサイズ、赤と青のシンプルな楽器をリズムに合わせて叩くだけ。
だが、どんな世界にも超一流を極めた人はいる。昨年、豊田市コンサートホールでは、世界一単純な楽器を世界一華のある楽器にしたスペインが誇るカスタネットの女王、ルセロ・テナさんが初来日コンサートを行った。マドリードで彼女が出演するコンサートには、必ずといっていいほどスペイン王妃が聴きに来ると言われるほどの存在だ。共演のお相手は、ハープ界の貴公子グザヴィエ・ドゥ・メストレだが、カスタネットの女王を共演者に選んだセンスと目の付け所も素晴らしい。
曲目は、アルベニスやグラナドス、タレガ、ファリャなどオール・スペイン作曲家によるもので、ピアノ曲・ギター曲、民謡・舞曲などの原曲をアレンジした作品群が一段と魅力を放つ。完全に虜にされてしまうハープの超絶技巧に、神業の如くカスタネットが絡み合い、まるで2人で歌っているようだった。圧巻の演奏に客席はスタンディング状態となり、終演後も長い余韻が続いた。
日の目を見ない楽器がキラキラの輝きに満ちた瞬間。それは楽器に限らず、どんな世界にも必ずあることだと思う。心が温かくなる瞬間だ。
(あかんちょう)
2020.10.13
あかんちょうのつぶやき「柳に風」⑯
うまい・へた
落語の大名人、五代目・古今亭志ん生が次のような言葉を残している。
「人の噺を聞いて、自分より下手だと思ったら、自分と同じくらいのレベル。自分と同じくらいだと思ったら、自分より上手い。自分より上手いと思ったら、自分よりその人の方がはるかに上手い。」名言である。人間というものがいかに自分を過大評価するかということを戒めている。
晩年の志ん生は、酔っぱらって高座に上がり、話しながら眠ってしまったという逸話もあり、天性の自由奔放な話芸の持ち主のように思えるが、実は自分の芸に対してこのように厳しい見方をしていたということに驚いた。
その志ん生の次男である古今亭志ん朝に、一度だけ豊田市能楽堂で落語を演じてもらったことがある。ネタは「試し酒」で、酒に一家言ある主人と客が、大酒飲みの男を連れてきて五升の酒が飲めるかどうか賭けをする噺だ。酒飲み男が「少し外で考えさせてくれ」と言って出て行き、しばらくして戻ると一升入りの盃で五升の酒を飲み干してみせたので、賭けに負けた主人が「外に行って、何か特別な薬か、おまじないでもしてきたのか?」と尋ねると、「今まで五升なんて酒を飲んだことがないから、試しに酒屋で五升飲んできた」というオチである。
いかにも江戸っ子らしく、明るくきれいにテンポよく、そして粋で、もう絶品といえる見事な一番だった。上演中は立て板に水のごとき志ん朝の噺に引き込まれ、自分も一緒に酒を飲んでいるような気分になる。終わってから、上手かったなあとしみじみ感じ入ったものだが、あらためて考えてみると、本当に上手いという時は、聴いている間は「うまい」とか「へた」とかいうことを意識せず、そういう概念すらも忘れてしまうのではないか。無理なく自然に芸の中に同居して時を忘れ、気がついたら、ああ実は上手かったんだなあとなる。もっとも、その域に達するのは、並大抵のことではないだろうが。
(あかんちょう)
2020.09.26
あかんちょうのつぶやき「柳に風」⑮
失神する演奏者
芸能の根本は、神仏への奉納である。
神々が宿る島、と言われるインドネシア・バリ島に伝わる本場のガムラン音楽と舞踊をコンサートホールで上演したことがある。演奏団体はバリ島西部の村を本拠地とするグループだが、なんと驚いたことに、演奏者が演奏中のヴァイブレーショで陶酔・失神するという。その失神した奏者をステージから引っ張り込んでくる要員として、我々スタッフもいつもの倍以上の人員を舞台袖に配置してほしいと頼まれ、スタンバイした。つまり、元々は有名な“ケチャ”同様、神へのお伺いを立てる際の媒介者として、入神状態に導くために奏でられる音楽なのであろう。
いざ本番。大きなものは長さ3m、直径20cm以上にもなる巨大な竹製の打楽器で、「大地の響き」と言われ、まるで地面がうねるような桁外れの音圧と重低音が鳴り響く。インドネシアがオランダの植民地として統治されていた時代は、竹が武器になるという理由で禁止されており、その後久しく途絶えていたが、1971年に見事に復興させ、今や世界中でバリ島の民族楽器として広く知られている。
白眉は、この楽器によるアンサンブルが2組に分かれ、競うように演奏される部分だが、やがて強烈な音の波動になっていき、演奏バトルをする最中にトランス状態から本当に1人2人と次々に失神していく。失神した奏者をすぐにそのまま舞台袖に引っ張り込み、すかさず水をかけて頬を叩く。目を覚ました奏者は再びまたステージに戻って演奏するという具合だ。
当然お客さんの中にも何が起こったのかと心配する人も出てきたが、さすがにお客さんで失神される方はいなかった。後にも先にも、コンサート中に演奏者が失神するということはこの時しかないが、神に捧げる音楽の真骨頂を見た貴重な経験である。それにしても、「失神」という字は神を失うと書くのは不思議だ。
(あかんちょう)
2020.09.09
あかんちょうのつぶやき「柳に風」⑭
ワキ役の美学
親バカな話で恐縮だが、息子が小学校6年生の時、文化祭の劇で「はだしのゲン」を上演することになった。主人公ゲンの役は数人の子が交代で演じる。息子は本人の期待に反して、原爆現場から他人を押し退けて自分だけ助かろうとする悪役的な脇役をすることになった。意気消沈している息子に声をかけた。「劇というものは主役だけでは成り立たない。脇役の演技次第で劇全体が引き締まるのだ。脇役に徹して、徹底的な悪役を演じたらどうか。」。一応腹に落ちた息子、いざ本番。その悪役ぶりはなかなか迫真の演技で、先生方にも感心されたようだった。
能の脇役をワキ方という。この場合、主役に対しての単なる脇役ではない。ワキの存在は、副次的な役割を担う意味でなく、能という演劇の重要なバランスをとる役なのである。ワキ方の安田登氏の説明によれば、ワキとは、「わきの下」という言葉もある通り、「横(の部分)」をさし、着物で言えば脇の縫い目、つまり前の部分と後ろの部分を「分ける」ところだから「ワキ」とのこと。古語で言えば、ワキとは「分ける」人であり、「分からせる」人だということだ。
能のワキは、ほとんどの場合曲の最初に登場する。緊迫した静かなワキの登場で舞台の空気が整い、その曲の場面設定を行うという最も重要な役割を持つ。さらにもう一つの役割は、主役(能ではシテという)が面をつけた女や武将の霊であるのに対して、ワキは絶対に面をつけず、現実の人間であり、したがって観客の代表としての意味も持つのである。役としての優雅さや抒情味はなく、地味に存在して曲によっては2時間以上も静止していることも少なくない。だが、能ではその日の舞台の成功は、このワキの存在感に左右されるといっても言い過ぎではないだろう。じっと動かないままでも、主役(シテ)との均衡を保つ貴重な一本線が張られているからこそ、見応えのある能が一番成立する。そこにワキの美学がある。
ワキ役は実にカッコいいのだ。
(あかんちょう)
2020.08.27
あかんちょうのつぶやき「柳に風」⑬
お昼寝とクラシック音楽
50年以上前、保育園に通っていた頃、夏の時季にはお昼寝の時間があった。
お昼寝の始まりは、いつもシューマンのピアノ曲「トロイメライ」が流れた。そして、お目覚めの曲は、ドヴォルザークのピアノ曲「ユーモレスク」ヴァイオリン版だった。だから、今でも「トロイメライ」を聴くと自然に眠くなってくる。広い部屋に園児たちは寝て、保母さんたちがなかなか眠れない子の胸を優しくトントン叩いていた情景が記憶の彼方に残っている。
考えてみれば、これが自分の記憶にある人生で最初に触れたクラシック音楽だと思うが、幼児の頃に身体に馴染んだ音楽は、長い年月を経てもその記憶を呼び覚ますものらしい。
「トロイメライ」はシューマンが作曲した『子供の情景』という全13曲から構成されたピアノ曲集の第7曲目で、特に有名だ。トロイメライの意味は〈夢〉〈夢想〉だから、お昼寝にはぴったりだったのだ。美しくロマンティックな曲調が、いかにもドイツ・ロマン派の作品である。一方、「ユーモレスク」もドヴォルザークの『8つのユーモレスク』というピアノ曲集の同じ7曲目の作品だ。この曲は、ドヴォルザークが晩年、病に伏せていた時に、お見舞いに訪れた世界的ヴァイオリニストのクライスラーが、彼の部屋の楽譜の山からこの曲を発見。編曲して演奏したものが大変な人気を博したというエピソードがある。
いつか、クラシック超名曲集「トロイメライからユーモレスクへ」という企画をやってみようか。ただし、客席はお昼寝タイムになるかもしれないが。
(あかんちょう)
2020.08.14
あかんちょうのつぶやき「柳に風」⑫
84歳の「愛のあいさつ」
80歳を超えて、豊田市コンサートホールで3回リサイタルを行ったピアニストといえば、アルド・チッコリーニである。2010年、2012年、そして2014年を最後に、翌年89歳で尊いご生涯を終えられた。そのチッコリーニの最初のリサイタルで、驚くべき光景を目の当たりにした。
プログラムのメインはムソルグスキーの「展覧会の絵」で、実に多彩な音色、輝かしい響きに会場は興奮のるつぼと化したが、さらに白眉はその後のアンコールだった。曲は、意表をついてエルガーの「愛のあいさつ」だ。この曲は、エルガーが婚約者のアリスに婚約の記念に贈ったという素敵なエピソードで有名だが、84歳の巨匠が奏でるゆっくりとした「愛のあいさつ」は、途方もなく甘く優しく、慈愛に満ちた演奏で、勝手に涙があふれてきた。
ふと気がついて客席を見渡すと、夫婦やカップルと思われる二人組のお客様方が、あちらこちらで明らかに寄り添ったり、そっと手を握り合ったりしているのだ。それが普通に自然になされていた。長年コンサートホールに勤めていて、こんなことは初めての経験であった。84歳の巨匠による「愛のあいさつ」は、その場に居合わせた全ての人々を幸せにした大切なひとときであった。
もちろん、私も手を握りたかったが、その場に相手がいなかったのはやむを得まい。
(あかんちょう)
2020.07.28
あかんちょうのつぶやき「柳に風」⑪
明るく歌えば歌うほど 悲しみが深くなる歌
現在、NHKで放送されている連続テレビ小説『エール』の主人公モデルは作曲家の古関裕而だが、その作品に「とんがり帽子」という曲がある。私は、涙なくしてこの曲を聴くことができない。
「とんがり帽子」は、戦後まもなく、古関が劇作家の菊田一夫と組んで制作されたラジオ・ドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌である。空襲により家も親も失った戦災孤児たちが街にあふれていた時代、復員してきた青年が孤児たちと一緒に信州の里山で共同生活を送り、明るく強く生きていく様子を描いたドラマで、大人子どもを問わず、多くの人の共感を呼んで大ヒットとなった。
歌の出だしは、晴れわたった空と緑の丘をイメージさせる明るいメロディーなのだが、2番・3番と最後まで聴いていくと戦災孤児の歌だとわかり、思わず涙がこぼれてしまう。しかも、ドラマでは孤児たちが平然と明るく歌っている設定なのでたまらない。<鐘が鳴りますキンコンカン 鳴る鳴る鐘は父母の 元気でいろよという声よ> <おいらはかえる屋根の下 父さん母さんいないけど 丘のあの窓おいらの家よ> <昨日にまさる今日よりも あしたはもっとしあわせに みんな仲よくおやすみなさい>。歌い手が明るい声で元気よく歌えば歌うほど、悲しみが深くなり、どうしようもない感動に襲われる。
明るい曲は、実は底知れぬ深い悲しみが作っているのである。
(あかんちょう)